● 腰抜け殿様と姫塚 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 戦国時代の慶長年間(1596年〜1611年)、大塚に河内守という大変憶病な殿様がいた。徳川家康の命によって関ケ原の合戦に出掛けることになり、仕度を整えて威風堂々と山を越え赤坂で本隊に加わるつもりで行った。
 さて、赤坂へ着いてみると、物具をつけた兵隊が槍や鉄砲をかついで次から次と来るので、にわかにおじけづいて「わしは戦いはいやだ。」といって大塚へ逃げ帰ってしまったそうな。これを聞いた河内守の奥方がなかなかのしたたか者で、「もののふが戦いがいやで逃げ帰るなんて、御先祖様に申し訳ない。」といって、主人の河内守に詰め腹を切らせ、自分も跡を迫って自殺をしてしまった。
 残った人達が、その奥方の心根を哀れに思って、ねんごろに葬ったそうだが、その墓が広畑にある姫塚だと伝えられている。
西の郡の民話 ほんとのんほい より引用 


姫塚

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