● 鼠小僧治郎吉 前のページへ戻る   HOMEへ戻る
江戸時代末期の1830年代、天保年間のお話。
何年かは分からないが、当時西の郡と呼ばれていた蒲郡に江戸からl人の老婦人がひっそりと帰ってきて暮らしはじめた。 35、6年ぶりのことだ。
家の裏手には、うっそうとした薮が広がっていた。 その藪の中に、名前も戒名も書かれていない粗末な墓らしきものがある。 と近くの住民が気づいたのは、それからしばらくたってからのことだった。
老婦人の名を、かんといった。 ある日のこと、道でかんとすれ違った住民が尋ねた。 「薮の中にある墓は、どなたをご供養なさっているんですか」。 かんは一瞬、驚いた様子を見せ、顔をくもらせた。 しばらくたって小さな声で「倅の」とだけ、言って立ち去った。
「がまごおり風土記」(伊藤天章著)には、文政期に江戸市中の大名屋敷に忍び込み、天保3年に38歳で処刑された鼠小僧次郎吉は蒲都の生まれだと書かれている。 母親のかんは、処刑のあと一握りの遺髪を手に蒲形村に帰り、墓をつくり冥福を祈った。 この墓が後に委空寺(神明朗町)に移されたという。
治郎吉の生家は現在の神明町。 生後間もなく父の定七は江戸に旅立ってしまう。 1、2年後、母のかんは、定七を追って幼い治郎吉を背負い上京した。 お墓のいわれとともに、このような話も代々語り伝えられている。 真実はともかく、鼠小僧は歌舞伎や小説、映画に義賊lとして描かれている。 地元の人たちには、ちょっぴり自慢だったに違いない。
 広報がまごおり(平成23年1月号) より引用 


鼠小僧治郎吉の墓

一つ前へ戻る        HOMEへ戻る