革むすにまかす頌徳碑 前のページへ戻る   表紙へ戻る

 稲石翁は、東大塚の郵便局前附近にあった造り酒屋のせがれとして、嘉永2年に生れた。
 明治維新の時世の移りかわりを身をもって体験した若者であった。
 19才の時、江戸に出て山岡鉄舟の門をたたいて、其処の書生に住込み、親しくその薫陶を受けた。
 志遠大で、私を捨てて公に尽すを本分としたと伝えられている。鉄舟の膝下を辞して家に帰った時、時世の変動にあい、ウツボツたる青雲の志押え難いものがあったが、鉄舟の教に従って、家業を守りよく耕すかたわら、新時代の新産業の勃興に尽すと共に、村政に関与し、自治の功労者とたたえられ50余年におよんだ。
 海岸の村では、漁業を盛んにするのが、いちばん大事だと、私費を投じて海岸一帯に種子(たねこ)をまいて、あさり漁場をつくり、自ら見はりをして、盗みにくる浜ドロを追ったり、石や瓦を海に沈めてカキの養殖をはじめるなど、水産業界につくした功労も偉大なものだった。
 ある時、こう言うことがあった。毎年のように、カキをつける瓦磋を海に投じて、今年もこれでカキが取れると喜んで、あけくれ海辺に行っては世話をしていた。
 すると、カキが石にいっぱいついてもうぽつぽつ取ってもいいと思っていると、ある夜佐脇、梅薮の漁師が船で乗りつけて、翁がせっかく育てたカキを引揚げて逃走した。
 これを翁が知ったのは翌朝のことであったが、怒っても始まらんがーと言いながらカキ養殖を三河湾一帯に拡げて浅海漁業の振興を図り、貧しき農漁村の経済の立直しを計る志は、さらに一層かきたてられたと言い、後にはカキ盗人等が、彼の指導下にはいって、水産業に励むようになったと言う。いわば、明治激動期の大塚村を一身に背負って立ったと言える功労者である。

かまこおり風土記(蒲郡青年会議所発行)より引用 

稲石佐平翁頌徳碑

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