● 竹と白蛇 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 八百富神社は、そのむかし、歌人として有名な藤原俊成が、びわ湖の竹生島の竹を2本根こぢして、竹島に移し、べん天さまをおまつりしたのが、はじまりだということです。
 そんなわけで、べん天さまは、その竹をとてもたいせつにされていました。ふだんから、おつきの者に命じては、竹の手入れをさせていました。また、あらしが来て大風でもふこうものなら、それはそれは心配されて、ご自分で見て回って、たおれた竹をおこしたり、竹にささえをつけたりするほどでした。ですから、2本の竹は、その後どんどんふえて、島じゅうのいたるところに生えるようになり、べん天さまは、とてもお喜びになっていました。
 竹島の竹は、このようにたいせつにされていましたので、どの竹もみきは太く、かがやくような緑色で、葉も多くしげり、りっぱなものばかりでした。島をおとずれたひとびとも、竹をほめない者はないほどです。中には、ひと目見たとたんに、どうしても竹がほしくなり、こっそりと切って持ち帰ろうとするふとどき者もありました。でも、その者には、かならず何かばちがあたりました。
 いつしか、村のひとびとの間に、こんなうわさが広まりはじめました。
「おいおい、聞いたかん。あの竹島の竹のうわさ。」
「うん、聞いたぞん。おそがいことだのん。」
「この前も、夜中にこっそり切りに行ったもんが、うめき声をあげて、はって帰って来たそうじゃ。なんでも、こしがぬけて、そのまんま、ずうっとねこんでしまったそうじゃ。」
「でもなあ、考えてみれば、だまって切ろうとするもんがいかんだぞん。べん天さまが、たいせつにされとる竹だもんなあ。」
「ほうだのん。べん天さまがおおこりになるのも、むりはない。」
この話を、さっきからだまって聞いていたひとりの男がいましたが、とつぜん大きな声で、
「なあに、そんなことは、うそだ。うそにきまっとる。この世にばちなんかあるもんか。おれが今から行って、竹をたたっ切ってやるぞ。」
と、言いだしました。それを聞いた村のひとびとは、びっくりしてしばらくその男の顔を見つめていましたが、
「そんなおそろしいこと、しちゃあいかん。」
「おまんも、かならずばちがあたるぞ。」
「そうだ、そうだ。やめとけ、やめとけ。」
と、口ぐちに止めました。でも、その男は、みんなの言うのも聞かず、家へ帰って大きななたをかつぐと、いさんで竹島へでかけて行きました。
 竹島へつくと、男は(さあて、どの竹を切ってやろうか。)と、あたりを見回しました。すると、お社のすぐ横に生えている1本の竹が目に入りました。その竹は島じゅうで一番太くて、りっぱなものでした。(よし、あの竹にしよう。)と、男はその竹に近よりました。ひとつ大きないきをすると、大なたをふり上げました。そして、いっきに竹の根もとを目がけて、力のかぎりふり下ろすと、竹はスパーンと音をたてて切れ、その場へゆっくりたおれました。
「ほら見ろ、うまくいったぞ。ばちなんて、あるもんか。」
と、男がにやりとわらってつぶやいたその時です。切った竹の根もとから、まっ白い蛇があらわれたかと思うと、赤い舌をチロチロ出し、あやしく光る金色の眼を、カッと見開いて、男をにらみつけているではありませんか。男はびっくりして、大あわてでにげだそうとしました。ところがどうしたことか、気はあせるが、足は一歩もすすみません。男はその場に、へなへなとすわりこむと、こしがぬけて動けなくなってしまいました。
 その後、男は、心配してようすを見に来た村のひとびとに背おわれて、家に帰りつきましたが、とうとう高い熱を出して、ねこんでしまったということです。
 それからというもの、竹島の竹を切る者はなくなりました。今でも竹島へ行くと、あおあおとした竹を見ることができます。

蒲郡のむかしのはなし(形原北小学校・PTA)より引用 

 
竹島

八百富神社

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