● むそうれの地蔵様 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 玖老勢の長楽部落から追分に通ずる川添いの道は、信州にまで通じた信州街道と呼ばれる道であったが、崖に作られた道で大変な難所であった。そのために人馬の遭難は数えきれない程であった。
「このままでは又犠牲者が出る」
と心配した人に、田峯の素封家小野田長左衛門がいた。
 長左衛門は祖父を供養する追善事業として、自費でこの難所を改修し、ここに地蔵様の石像をたてて交通の安全を図った。
 それ以来、長左衛門の善行が旅人の感謝の的となると共に、この地蔵様はむそうれの交通安全地蔵として親しまれてきた。
 それから後のある日のことであった。何十羽というからすの群が、このむそうれの地蔵様のまわりで、急にやかましく鳴きだした。
 あまりにもやかましいからすの鳴き声を、不審に思った追分部落の人達が、そばへ寄って見ると、上から大岩が崩れそうになっていた。
「おーい、岩が崩れてくるぞー」
と呼ばりながら、みんなして地蔵様を他へ移し、通行人を止めて見守っているうちに、岩が大きな地響きをたてて崩れ落ちたが、さいわいにもけが人はなかった。
「こりゃあ、むそうれの地蔵様のおかげだぞ。よかったなあ」
と地蔵様に感謝しあった。
 このことから、この地蔵さんの評判は一層高くなってきた。
 そうしたある日のこと、信州で事業に失敗した永田久吉夫婦が、夜逃げしてこの信州街道を南へ下り、この地蔵様の前を通りかかった。藁にでもすがりたい気持の永田夫婦は、路傍の岩角に端然と立っている地蔵様を見て、吸い寄せられるように心を引かれ、その前にぬかずき両手を合せ、
「お地蔵様、どうかもう一度運を与えて下さい。再起できたら必ずお礼参りにまいります」
と真剣に祈願し、やがて南を指して下って行った。
 その後、この夫婦は遠州浜松に出て商売を始めたところ、大層繁昌し安楽に暮せるようになった。
「このお店の繁昌は、あの地蔵様のおかげだ。約束のお礼参りに行こう」
と、夫婦揃って浜松を出発し、はるばるむそうれまでやってきて、雨覆いを作ったり、敷地を整備したりし、お礼参りをして帰って行った。
 こうしてむそうれの地蔵様の、交通安全、人助け地蔵の評判が一層高くなり、今もなお、お花の絶えることが無い程、親しまれ敬まれながら、国道脇の岩角に立って、道行く人や車を見守っている。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用


ムソウレの地蔵様

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