お菊大明神 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 今からおよそ400年ほど前の長篠合戦の時のことであった。武田軍が15,000の大軍をもって長篠城を包囲し、激しい攻撃を加えていた頃、武田方のある若い武士が、長篠近くのお菊という女怪と親しくなり、将来を誓いあっていた。
 しかし武田勢は、設楽原で38,000の織田・徳川の連合軍と決戦して大敗し、その若い武士も命からがら北へ敗走して行った。これを知ったお菊は恋しさのあまり、その若者の後を迫って池場坂の上り口まで来たが、とうとう追いつくことができず疲れはててしまった。
 そこでお菊は、いつもその若者が
「武田軍は必ず三河を平定し武田方の領国にする。そうすれば、わし達は大手を振って仲よく暮せるようになる」
といっていたことを思い出し、武田軍が再び南下して来ることを信じ、この池場坂の上り口の付近に仮住いして、恋しいその若者を待つことにした。
 それからお菊は何年かここで、わびしい生活をしながら恋しい彼氏を待ち続けていたが、
「武田の総大将勝頼は、甲斐の国に攻め込んだ織田・徳川連合軍に追い詰められて自害し、武田軍は全滅してしまった。」
という話を耳にし力を落した。
「あの人も勝頼公と一緒に戦死してしまったのではないか。そうすれば、もう二度と会うことができないのでは………‥。」
と思い、悲しさに耐えかね、
「それじゃあ、いっそ私も死んであの世へ行き、あの人に会いたい」
と思い詰め、とうとう近くの亀淵へ身を投げ、24歳を最期にして若い命を絶ってしまった。
 この付近の人達は、このお菊を哀れに思い、心ある人達が彼女の仮住いしていた所へ丁重に葬ってやった。
 そして月日がたつにつれて、
 「あのお菊さも気の毒なことだった。あの武田の武士が生きていてくれさえすれば、きっと尋ねて来てくれただろうに。運のないことだった」
と同情がより、やがて塚の上にお祠が建ち、お菊大明神と書いた旗まで立てて祭られるようになった。また
 「川合亀淵雨降らば、お菊涙とおぼしめせ」
とまで歌われるようになり、このあたりの小鳥までが、
 「オキク24、オキク24」
 と鳴くようになったといわれている。
 このお菊大明神は、この祠の前を通り行く人や車を見守るかのように、国道脇の岩角に静かに立っている。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用


お菊大明神

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