原隼人佐昌胤の墓・原昌胤の碑
新城市竹広
原昌胤
は父・
昌俊
の跡を継いで陣場奉行を勤め、
長篠設楽原の戦い
でも
武田勝頼
に撤退を進言したが容れられず、
内藤昌豊
らと共に徳川本隊を目指して攻撃したが、惜しくも敵の銃弾を浴びて討死にした。
昌胤は平時は優れた土木技術者として治水工事で大きな業績を残している。
設楽原古戦場いろはかるた
治水にも つくせし昌胤 ここに死す
原昌胤
原昌俊
長篠設楽原の戦い
武田勝頼
内藤昌豊
2010年8月14日 更新