● 米福長者 前のページへ戻る   HOMEへ戻る   東三河の伝説・昔話へ 

 高い本宮の峰をいくつか登りつめていくと、やがて目を見張るような平地がひらけてきます。 ここが作手の里です。 ずっと遠くには小高い山が連なって、この平地をとり囲んでいますが、だれだってこんな平地が高い山の上にあるとは信じられないほど広々としているのです。 ですから、ここは昔からどっさりとれるお米で、みんな楽なくらしをしていました。
 なかでも、米福長者は、この平地のまん中に大きな屋敷を持っていて、ここでとれる質のよいお米でお酒を造っておりました。 それは大変なお金持ちでありました。 屋敷は、今の家なら何けんもすっぽりはいってしまうほど広く、まわりは堀をあげて土盛をし、堀には石を敷きつめて、いつもきれな水が音をたてて流れておりました。
 酒造りだけでなく、鉄を打って道具を作ったりする仕事をするための鍛冶場もありました。 きれいな水がこんこんとわき出る大きな井戸もありました。 また蔵には、たくさんの炭・うるし・朱などが貯えてありました。大きな池のそばには、大きなカヤの木が立っており、その木の下には金山神をおまつりしてありました。 いまでは、この長者の屋敷跡一帯を長者平と呼んでいます。
 米福長者は、大変心がけの良い人でした。 神や仏をあつく信じ、人には、情け深かくしました。 村に病人があれば心をこめて見舞いにいき、くらしにこまる人があれば出かけていって助けてやりました。
 寒い冬には、米福長者の屋敷は、酒造りで大いそがしになります。
つばきの花が咲いて散り、長者の酒蔵が新しい酒でいっぱいになるころになると、お祭りが行われます。 そのお祭りの日には長者の家の門が開かれ、酒かめが並べられて、訪ねて来る人は誰でも自由に飲むことができました。 遠くの村からも、長者の家へ集まってきました。
 神様にお供えする酒は特に念を入れて造りましたから、すばらしい香りや味がして、黄金色に澄みとおっていました。 それに杉の葉をかざり、りっぱなつぼにおさめて、長者が神様にささげるのでした。 酒をとったあとの酒粕は、屋敷からずっと離れた平地のむこうの聖地として選んだ場所へ運んで埋めました。 それがずっとつもって小さな山になりました。人々はそこを粕塚と呼びました。 今では、そこに八幡様をおまつりして、こんもりしげった森になっています。
 また長者は、酒・農産物・馬などを売る市もつくりました。 今でも、市場という地名になり残っています。
 こんなに栄えた米福長者も、いつの世にかだんだん衰えてしまいました。 侍に、大金を貸したために破産してしまっただろうともいいます。 あるいは、武士の勢におされてどこかへ逃亡しなければならなくなったのかもしれません。
 ずっと後の世になって、米福長者の屋敷のあった近くのお宮から、
「うるし千べん、朱千べん、黄金千べん 朝日さす 夕日かがやく よし三本のもとにうずめおく。」
と、書いた木札が見つかり、大騒ぎとなりました。 長者平の人々は、この歌のもとは粕塚であろうということで大勢でいく日も掘ってみました。 けれども、何一つ出てこなかったということです。
  作手見聞録(作手村発行) より引用 


米福長者屋敷跡

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