おとら狐 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 長篠の戦が終ってまもなく、長篠城が廃城になった時、この城の鎮守のお稲荷さんであった本社が他へ移され、末社だけが残されて祭る人もなくなった。そこでこの末社についていた狐が怒り、城の近くの"おとら"という娘にとりついて、いろいろと悪いことをしだし、おとら狐と呼ばれるようになった。
 その頃、城趾の蔵屋敷跡に、林藤大夫高英という日置流雪荷派の弓の名人が住んでいた。その名声は近郷に知れわたり、鳥達までが恐れて近寄らないといわれる程であった。
 このことを聞いたおとら狐は、にが笑いしながら、
「わしが一つ試してやろう」
と、ある日、烏に化けて藤大夫の屋敷の門へ止り
「カー、カー、カー」
と鳴きまねをした。
 奥の間で本を読んでいた林名人は、
「烏のやつ耳ざわりな。わしの家の門へは、鳥一羽も止らぬと言われているのに、なんと憎らしいやつだ」
と言いながら席を立ち、弓矢を持って障子のすき間から「鵜引目の法」で射った。
「よし!!」
と一声、名人は確かな手ごたえを感じた。
 しかし烏は逃げ去ってしまった。
「確かに当ったと思ったが、急所をはずれたか。おしいことをした。」
と、名人は意外に思った。
 それから数日経ってからのことであった。おとら狐がある人にとりつき、その人の口を借りて、
「‥‥‥…‥‥‥…‥‥……‥‥と、かくかくしかじかで、かたわになってしまったんだ」
と、出来事の次第を話した。
 こうして片目片足のかたわになったおとら狐は、なおこりずに近郷を荒しまわり、いたずらをしていたが、ある時、信州の川中島まで遠征をしたが、はじけ弾に当って、波乱万丈の一生を終えたと、おとら狐の孫狐が話したといわれている。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用


城藪稲荷

長篠城址

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