● 旭長者 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 むかし、このあたりに旭長者とよばれた長者が住んでいました。
 長者の屋敷は、南向きの日当りのよいところで、あつい土塀をめぐらした大きな家を中心に、いくつかのお蔵がならんでいました。そして庭には、1本の大きなつばきの木があって、まっかな花がいっぱい咲き、朝日、夕日にかがやいて、絵のような美しさでした。
 この長者は、たいへんなさけ深く、また学問もあり、神仏への信心もあつく、村の中に病人があれば、心をこめて見まいに行き、くらしに困る人があれば、どんなに遠くても、出かけていって救ってやり、かわいそうな乞食がくれば、親切にほどこしをしました。
 冬の雪が消えて、庭のつばきのつぼみがふっくらと赤みをおびるころになると、長者の家の酒ぐらも新しい酒の香りにみちていました。新しいお酒ができると、お祭りが行われることになっており、そのお祭りの日には長者の家の門が開かれ、酒がめがならべられて、たずねてくる人はだれでも自由に飲むことができました。そこで、遠くの村々からも長者の徳をしたって続々と集まってきました。この日、神さまにお供えする酒は、特にねんをいれて作ったもので、黄金色にすみとおり、すばらしい香りと味のもので、長者みずから神さまにお供えする例になっていました。
 そして、この神さまにお供えするお酒をしぼった酒粕は、聖地として選ばれた一定の所に毎年うめられていきました。それが積もり積もって、大きな粕塚ができました。
 また、長者は、一つのお堂を建てて、その中に仏像をおまつりし、あつく信仰しました。そして、このお堂の前を通るときは、乗物に乗っていても、おりてお参りして通るようにと、村人に話していました。
 ある時、一人の若者が、人々のとめるのも聞かないで、馬に乗ったまま、このお堂の前にさしかかると、仏像から御光がさして、馬の目を射たため、馬がびっくりして後足で立ちあがったので、若者は馬からもんどりうって落ち、気を失ってしまったということです。
 それから、世の中が移りかわって、あれほど栄えていた長者も、いつの世にか亡びてしまい、その仏像も移されて、いま竹広から信玄塚にでる新道の坂の入口にある、「黒はたあみだ」がそれで、粕壕の東にあるお墓が、そのお堂のあったところと言われています。
 さて、それでは、
 「朝日さす 夕日かがやく み仏の つばきのもとに 黄金千両」
とはなんのことでしょう。後の世になって、これこそと思われるような大きなつばきの根もとを掘ってみましたが、何も出なかったそうです。
 話によれば、それもそのはず、実は、仏像の「黒はたあみだ」ののど元(つばきのもと)に、尊い黄金仏がかくされていたということです。のどから出るつばきと、つばきの木とがかけてあったというわけです。
 とにかく、旭長者の高い徳と、大きな勢力と、この「朝日さす…」ということばはともに、いついつまでも語り継がれているのです。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


粕塚

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