● 笛吹き半重 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 戸田半重が生まれたのは、文化12年といいますから、今から170年も前のことです。大宮の大坪の百姓家でしたが、江戸屋という屋号で、墨の製造もしていました。
 半重は、子供の時から、笛が好きで、京都の森田光俊という人の門にはいって、能の笛を習いました。新城の本町の鈴木貞助という人も、先輩として大変じょうずでしたので、この人からも指導をうけました。12歳のときに、はじめて、新城の天王社の能舞台で、大人の人にまじって立派に笛を吹いて人々をおどろかせました。そして最後は、奥山の方広寺で、明治18年に「小鍛冶」や「舟弁慶」を吹きましたが、60年の間に、50の舞台で、72曲を吹きこなしたといいます。石座神社の「笹おどり」のおはやしや、信玄塚の火おんどりのおはやしなどは、半重が教えたものだといわれています。
 そんな笛の名人でしたが、家業がうまくいかなくなり、家族に不幸があったりの不運つづきで、家屋敷も売りはらうという気の毒なありさまでした。白痴の孫娘をかかえて、その日の暮らしに困るほどになりました。明治21年の冬の夜のことです。とうとう、住んでいた小屋に火をつけて、2人で焼け死んでしまいました。73歳であわれな最期をとげてしまいました。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


石座神社笹踊り

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