長篠城址      新城市長篠字市場22-1 場所はココ   東三河の城跡   長篠設楽ヶ原の戦い   東三河の歴史
永正5年(1508)山家三方衆の菅沼元成が今川氏親の命により築いた長篠城 は、豊川と宇連川の合流点に位置し、北方に人工の堀と土塁を築いた堅固な城。ここは、愛知県から長野県、静岡県北部、山梨県に通じる拠点の為、武田と徳川が奪い合いとなる。
当初、菅沼氏は今川氏に属していたが、今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると徳川氏に属し、元亀2年(1571)に武田信玄が東三河を攻めると、徳川氏を離脱して武田氏に属すが、天正元年(1574)に徳川家康が長篠城を攻めると、城主菅沼正貞は長篠城を脱出して信州へ逃れる。
その後、徳川方の松平景忠などが城を守る。
このように戦国の世の常として、今川武田徳川 にと帰属を変え、天正3年(1575)には21歳の奥平貞昌(信昌)が城主となる。
天正3年、武田信玄の子勝頼 が父の上洛の夢を果たそうと15,000の大軍により包囲し、長篠・設楽原の戦い始まったが、奥平貞昌は500の兵で篭城に耐え抜き、勝頼は大敗して武田氏滅亡となっていく。
戦後、徳川家康は、長篠・田峯・作手の領地を奥平信昌に与え、天正4年(1576)に信昌が 新城城 を築いてそこに移り、長篠城は廃城となる。

長篠城は日本の名城百選 にも選ばれている。 隣接して、長篠城址史跡保存館 があるので、まず先にここに立ち寄ってみよう。 春に訪れれば辺りは桜の花 に包まれる。 また、本丸跡の裏手には、不忍の滝 がある。

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左 豊川、右 宇連川
● 山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)
   戦国時代に、奥三河を居城とした弱小豪族たちで、亀山城の奥平氏、田峯城の菅沼氏、長篠城の菅沼氏をいう。
    長篠城  亀山城  田峯城

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2011年1月25日 更新