追分地蔵  新城市富岡
新田組で迫分地蔵のお祭りをするようになったのは、昭和3年頃、五軒の家で次々と不幸が重なったことに起因します。
ある時、武藤富太郎氏の夢枕にお地蔵様がお立ちになり、自らが不遇な扱いをされ、道端に埋もれていると告げました。不幸が続くのはこれが原因かもしれないと思い、早速お告げに従い街道の道端を調べてみたら、お告げの通り無造作に倒され、土に埋もれて放置された石のお地蔵様がありました。
掘り出して水洗いしてみると「明和二年」と刻まれていました。明和二年は西暦1765年です。
五軒で話し合い「不幸が続くのはお地蔵様を祀ってこなかったからではないか」ということになり、お祀りすることにしまlした。武藤氏と親交のあった大原観音寺の住職に供養をお願いし、別所街道の追分近くにお祀りすることになりました。
最初は五軒で始まったお祭りも、東組の申し出もあり、新田組の祭礼行事こして毎年一月に甘酒を振舞うようになりました。
                                                                                 平成二十三年
【 説明板より 】
      

 

 

 

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2011年9月18日 追加