● 明笛のひびき 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 元亀4(1573)年の野田の戦いの時、伊勢山田の村松芳休をいう笛の名人が、城内で夜毎笛を吹いた。妙なるその音色に敵味方ともに感じ入った。城中の烏井半四郎が堀端に紙を付けた竹の立ててあるのを見て、これにねらいを定めて鉄砲を据えて待った。2月9日の夜、笛の音につられて人の気配があり、烏井が引金を引くと「大将が撃たれた。」という声が揚がり敵陣が動揺した。翌日和議の矢文が城中へ届いたという。
 信玄は、数年前から健康がすぐれず、病気をおして出陣しており、一般には死因は病気説である。最期の地は信州駒場が定説となっている。また、野田城での鉄砲傷がもとで死んだともいい伝えられている。宗堅寺にある13匆玉の信玄砲がそれだという。

 新城 文化財案内(新城市教育委員会発行) より引用 


信玄を打った場所

信玄が打たれた場所

鉄砲はここにある

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