● 鳴子縄 東三河の伝説・昔話へ   前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 天正3年の長篠合戦の時、長篠城を包囲した武田軍は、長篠城のしも、豊川の長走りという所に縄の網を張り、これに鳴子をとりつけて、さわるとからから音がするようにして、敵の脱出を防ぎ、警戒を厳重にしていました。
 このとき、鳥居強右衛門勝商は、見事に武田軍をあざむいてこれを破って脱出し、岡崎の徳川家康のもとに長篠城の危急存亡を知らせに走りました。 この鳴子の網の縄は、塩沢の人達がなって出したものだといわれています。
 また、徳川軍の部将、酒井忠次が、鳶巣山にいる武田軍を背後から奇襲するため、3000の兵を率いて塩沢から吉川に入り、松山峠を越えていきました。
 真暗い夜のことでしたので、道沿いに縄を張り、これを伝わって登ったということです。この縄も、塩沢の人たちがなって出したものだと伝えられています。
 塩沢は、長篠城にも近く、武田軍や織田・徳川方の連合軍がそれぞれゆききした所なので、どちらに味方することもなく、命令に従っておそるおそる縄を供出したことだろうと思います。
 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


鳴子網架設地

鳶ヶ巣奇襲隊進路松山越

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