村是在山林の碑 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 山吉田小学校の横の元の山吉田村役場の前に「村是在山林」の碑が立っている。これは明治時代山吉田の先覚者であった豊田成章が、山吉田村百年の計を示した教えの碑である。
 豊田成章は医者であったが、村のことについても非常に熱心であり、山吉田をよくするには山に木を育てなくてはだめだと、いつも真剣に考え、村の世論を高めることに努力してきた。明治22年に、下吉田、上吉田、竹の輪、黄柳野の4か村の合併が実現した時、村長に選ばれた氏は、各旧村の共有林や部落林を新村有林として統合して新しい村の基礎作りに努力して、ついに1000ヘクタールに及ぶ村有林設置の夢を実現し、「村是在山林」のスローガンを達成した。
 この画期的大偉業を記念して役場前にこの碑をたて、村政の目榛にしたのであった。碑の裏面には、
 「杉ひのき松も欅も生立ちて
   吉野にまされ山吉田村」
 という成章自作の歌が刻まれている。またこの地区では、正月のかど松にさかきを立てる風習が残っている。これは豊田成章が、将来用材になる松を切ってはいけない、松の代りに、用材にならないさかきを立てて松・杉・桧を大切にするようにという強い呼掛けが、今も生きているゆえである。
 この村是在山林の大偉業のお陰で山吉田は、この地方一番の裕福な地区として、他地区からうらやましがられている。

鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行)より引用


村是在山林の碑

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