●公宣卿(きんのぶきよう) と猿橋 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 昔、文武天皇は、勅使として草鹿砥(くさかど)公宣卿を鳳来寺につかわしました。
 そのころの道というのは、見通しのよい峰づたいになっていました。 まず、本宮山から雁峰山の峰づたいに出沢(すざわ)に出て、寒狭川の猿橋を渡って、横山を過ぎ、また峰づたいに鳳来寺に出るようになっていたのです。
 公宣卿もこの道を進まれて、雁峰山の御膳石というところで昼食をし、中腹寺まで来て足を休められました。 それから出沢の清沢の滝で体を清めて、川のほとりに出ましたが、橋がありません。 さてどうしようかと困っていると、どこからともなく、たくさんの猿が出てきて、つながりつながり、みるみるうちにりっぱな橋ができてしまいました。 公宣卿は、その橋を渡って鳳来寺におまいりし、無事に勅使の役目をはたされました。 そしてまた、帰りもやっぱり猿が出てきて橋をつくって渡してくれたということです。 それからここを「猿橋」と呼ぶようになったということです。 公宣卿は、その後、再び中腹寺によられ、この寺に「興休山勅養寺」という名をつけられ、皇室の御紋である十六花弁の菊の御紋を使うことを許されたそうです。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


勅養寺

十六花弁の菊の御紋

猿橋

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