● 田峰からこられた十一面観音 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 江戸時代は天保のころです。 大和田の村もとっぷりと日がくれて、静かな夜をむかえていました。
「ドンドン ドンドン」
 小嶋家の戸口をたたくものがあります。
「はて 今ごろ何の用だろうか。」
 おそるおそる主人が戸をあけると、うすぼんやりとした明かりの中に、ひとりの旅人が立っていました。
「どうか、きょう一晩とめていただけませんか。 山道を歩いてきたのですが、日が暮れてしまい、こまっています。」
 主人はつかれきっている様子の旅人を気の毒に思い、とめてあげることにしました。
「それは それは こちらにあがって休みなされ。」
「ありがとうございます。」
 旅人は、ふかぶかとお礼をいい、家の中に入ってきました。 ほこりだらけのみすぼらしい旅人は、おどろいたことに、子供の背丈ほどもある黒いお厨子(仏像が祭られている入れ物)を背負っているではありませんか。 旅人は、お厨子を大事そうにゆっくりと座敷におろし、手をあわせてからいろりのそばへやってきました。小嶋家の奥さんが、ごはんと汁をすすめました。
「もったいないことです。」
 旅人は、またふかぶかと頭を下げました。
「お厨子を背負って旅してみえるのは何かわけがあるのですか。」
 主人が聞くと、
「はい、わたしは、田峰村の観音堂の寺の守りをしているものです。 田峰村には、谷高山の高勝寺と東区の観音堂があり、それぞれ姉妹の観音様がおまつりしてあるのです。 ところが今年になり、わたしが朝、観音堂をそうじにいきますと、観音様のおからだがいつも南西に向いているのです。 はじめは、だれかのいたずらだろうと思っていたのですが、何度、まっすぐに直しても必ず朝になると南西をお向きになっておられる。 どうしたことかと気にかけていたのです。 そのうち、ひょっとして観音様は南西の方面へ、おすまいをうつしたいのではないかと気づき、わたしがお供して旅をしているわけなのです。」
「ほおう。 そんな不思議なことも、あるのかのう。」
 主人はおどろき、あらためて大きなお厨子を見たのでした。
 翌朝のことです。
「一晩とめていただき、ごやっかいをかけました。 わたしは、南西の方角へと旅を続けていくつもりです。」
 旅人が、主人に礼をいいお厨子を背負いかけたときです。 お厨子が急に重くなって、立ち上がることができません。
「よいしょ よいしょ。」
 主人にうしろをおしてもらっても、お厨子はびくともしません。 旅人は、背負うのをやめて、ぴたっと土間に手をついてたのみました。
「観音様が、ここにおすまいになられることを望んでおられるようです。 どうか、ねんごろにおまつりしていただけないものでしょうか。」
「そんな、めっそうなこと………。」
 小嶋家の主人は、おそれ多いこととことわリました。
「観音様は、ここにすまわれることを望んでみえます。 お願いいたします。」
 旅人はなおも手をついてたのみます。
「観音様のおたのみならば、すげなくことわるわけにもいかまいのう。」
 主人は、観音様を奥座敷にまつることに決めました。 お厨子のふたをそっとあけると、高さ3尺 (1メートル) ぐらいの木像金箔ぬりの立派な十一面観音様がおられました。
「なんとまあ おだやかなお顔をしていらっしゃる。」
 じっとみていると心が洗われるようです。
 旅人は、主人にくれぐれも観音様のことをたのみ、田峰村へと帰っていきました。 小嶋家にみえた観音様の話をきいた村の人たちは、ぞくぞくとおまいりにやってきました。 観音様は、いろいろな願いごとをことごとくききとどけてくれました。 小嶋家にも良いことが、つぎつぎとおこりました。
 村の人たちは小嶋家のことをいつの間にか谷高(やだか)という屋号でよぶようになりました。 小嶋家では、こんな霊けんあらたかな観音様を、自分の家におまつりしているだけでは、もったいないからといって、1町歩(1ヘクタール)ばかりの山を1枚、寄付して、今の大和田郵便局の隣りの田の一隅に、小さなお堂をたてて、観音様を安置しました。
 そののち、長い年月のうちには、観音堂もだんだんと朽ちてきたので、村人たちは寄付を集め、慶雲寺の境内に、観音堂を建てて、おまつりすることになりました。 今も、村人の厚い信仰の対象となっております。
 つくでの昔ばなし(作手村文化協会)より引用 


十一面観音

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