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2005年10月1日、鳳来町、作手村と合併。
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新城の伝説  うでこき山 桜淵公園左岸、標高125m
昔、昔、本当に大昔、神様たちが日本の国の山や川や湖や島などを一生懸命造っていたころのことです。
神様たちが相談されて、「日本の中央にすばらしく立派な山を造ろう。」 ということになりました。 「よし、ひきうけた。わしにまかしておけ!」 といったのは、体の大きな力の強そうな神様でした。それからその神様は、近江の国(滋賀県)から土を運んで、相模(神奈川県)と駿河(静岡県)と甲斐(山梨県)の三国の望まれるあたりに、立派な山を造りました。その山が名高い富士山です。近江の国の土を取ったところは、深く掘れて水がたまって琵琶湖になりました。その時神様は、腕についた泥をすっこいて、かためてポイと捨てました。そのかたまりが落ちてできたのが 「 うでこき山 」・・・。腕をこいて造ったということです。

● 長篠の戦い 
武田信玄の後を継いだ勝頼は、天正3年(1575)5月、1万5千の軍を率いて長篠城を囲んだ。城主奥平貞昌は21才、500の城兵と共によくこれを防ぎ、鳥居強右衛門の働きもあって、織田・徳川の援軍3万8千は設楽原に進撃し、連吾川に沿って陣地を築き、武田郡の進撃を待った。
日本最強を誇る武田軍の騎馬隊の壮絶な突入も、連合軍が放つ3千挺の鉄砲の前に敗れ、多数の名将勇士を失った。
この戦いによって武田氏は没落し織田・徳川の勢力は絶対的なものになった。まさに関ケ原・小牧長久手の戦いと共に、日本史上重大な意味を持つ戦いであった。
桜淵公園
「三河の嵐山」といわれ、その名の示す通り、桜と淵を持つ県下屈指の景勝地。
春は桜が清流の上に爛漫と咲き乱れ、夏の緑、秋の紅葉と四季折々の風情を満喫できる。
また、プール・テニスコート・芝生広場など憩いの場がある。
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花の木ダム
浸食された花こう閃緑石と流れ落ちる水とがかもし出す自然の造形美。
夏の涼を求めて、また、秋のもみじ狩りに多くの人が訪れる。
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鮎 滝
この滝を飛躍し遡上する鮎を竿の先につけた網ですくって捕らえる昔ながらのめずらしい漁法。
1643年滝川宗右衛門一貞により、丸太流材の障害となっていた三の滝を石工を使って切開させ、木材の流通をよくした。それに伴い鮎の飛躍も増し、領主の設楽市左衛門は、その功績を賞し、滝川家に「永代鮎滝元支配」のお墨付きを与え、以来出沢地区の権利とされ、夏の風物詩となった。
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野田城跡
永正5年(1508)菅沼新八郎定則が築城。
元亀4年(1573)武田信玄により、城の水源を断たれて、明け渡された野田城は、信玄死後、再び徳川氏のものとなり、1574年三たび菅沼氏が城主となる。
城跡に立つと、堀跡や本丸・二の丸の境がはっきり残り、当時の面影をしのばせる。
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信玄塚
設楽原の戦いで、主戦場となった竹広村の住民達は、戦いの後帰村し、知名武将をそれぞれの地に埋葬した。残った多くの屍体を丘陵の1カ所に運び、大きな穴を2つ掘り、そこに埋めて塚を築いた。
塚頂に印の松を植えて、大塚様、小塚様とあがめて弔った。これが現存する「信玄塚」。
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馬防柵
設楽原の決戦で、最強を誇る武田騎馬軍団の足を止めるために、織田・徳川連合軍が造った柵。
日本で初めて、組織的に鉄砲を使った戦いが繰り広げられ、これによって、この後の合戦の様相が一変した。
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夜泣石古墳
古墳時代後期のもので、大原古墳群の中の一つ。
墳頂には、夜泣石伝説の石がまつってある。今でも子供が夜泣きして困るときは、この石に願をかけると泣かなくなると言われている。
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摩訶戸(まかご)古墳群
摩訶戸神社の北周辺に、合計15基の古墳が分布し、1号墳は、横穴式石室が完全な形で残っている。
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釜屋建民家
江戸時代中期の建物。平入りの主屋と妻入りの釜屋を約1間(1.8m)離して左右に並べる「分棟型」民家の典型で、静岡県西部から愛知県東南部にかけて分布している。
この釜屋建の特色は、家に向かって左側に母屋、右側に釜屋がある右住まいで、母屋と釜屋の棟の方向が直角に造られている。
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望月家住宅
豊川流域と天竜川流域に分布する全国的にも珍しい分棟型民家で、この地方では「釜屋建民家」 と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。
建築年代は、18世紀末頃の建物と推定されている。
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設楽原歴史資料館
設楽原の決戦(0575)のあった戦地に、新城市の歴史を集約することを目的に平成8年4月建築。
長篠・設楽原の戦いを多くの古文書から紹介するとともに、この戦いを象徴する火縄銃を様々な角度から展示している。
歴史の分かれ道となった「鉄砲の戦い」の紹介とともに火縄銃について日本有数の資料館をめざし、設楽原の戦いコーナー、岩瀬忠震コーナー、企画展示コーナー、火縄銃コーナー、火おんどりコーナーに分かれている。
火縄銃コーナーでは日本一の数を誇る火縄銃が展示されている。
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コスモス迷路
富岡地区の町民の方が種をまき、育て、花を咲かせた一面のコスモス畑です。
中は迷路になっていて、出口を探しながら色とりどりのコスモスを楽しむことができる。
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鳳来寺
真言宗五智教団の本山。文武天皇の大宝3年(703)利修仙人によって開山され、後に源頼朝の再興と伝わっている。
利修仙人作の本尊薬師如来を祀り、薬師信仰と山岳修験道の霊山として信仰を集めてきた。江戸時代になってからは、松平広忠と夫人於大の方が鳳来寺の峯薬師如来に子授けを祈願し、家康を授かったという縁起によって、幕府の厚い保護を受け、3代将軍家光の時には21院坊、寺領1,350石という盛大さだった。
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鳳来寺山
鳳来寺山の最高峰は瑠璃山(標高695m)で、流紋岩、松脂岩、凝灰岩などから構成され、約2,000万年前に激しい火山活動によって噴き出し、その後の長い間の風化浸食作用によって今日のように複雑で険しい地形ができあがったもので、山の斜面は急で、奇岩がそびえ、数10mの絶壁をなしている所が多く、山頂近くの奥の院からは、目前に東三河から渥美半島までの眺望を楽しむことができる。
表参道から石段を登ると両側は老杉がうっそうと生い茂り、昼なお暗く5月から7月にかけては、時には霊鳥仏法僧の声を聞くこともできる。
国指定名勝天然記念物
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鳳来寺山東照宮
慶安元年(1648)4月、3代将軍徳川家光が日光東照宮参詣の折り、日光東照宮御縁起」を見て、家康の父広忠が夫人於大の方とともに鳳来寺の本尊峯薬師如来に祈願して家康が生まれたことを知り、報恩のため東照宮の建築を命じ、4代将軍家綱が慶安4年9月に完成させた。全国には多くの東照宮があるが、日光、久能山とともに三東照宮と呼ばれている。
国指定重要文化財
場所はココ   鳳来寺山東照宮のホームページ
湯谷温泉
宇連川の両側に旅館が建ち並び、桜・新緑・紅葉等が四季折々に板敷川の清流に映え、刻一刻表情をかえる渓谷随一の景勝地。ここから湧き出る鳳液泉は、1,200年前より万病に適するといわれ、数多くの人々に親しまれている。
泉質:カルシウム・ナトリウム塩化物泉。泉温:52.0度。効用:リウマチ性疾患・創傷・慢性湿疹・婦人病・更年期障害等。
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赤引温泉
その昔、弘法大師が発見したという山峡に旅情漂う一軒宿の温泉。
泉質:ラジウム泉。泉温:20度。効用:リウマチ性疾患、神経痛、神経炎等。
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八名温泉
三河唯一の単純鉄(U)冷鉱泉。天然温泉、ジェット湯、バブル湯、露天風呂、、トロンサウナ、食堂、カラオケ、休憩室を備えた、日帰り温泉。宿泊も可。
泉質:低張性アルカリ冷鉱泉、低張性中性冷鉱泉。効能:慢性消化器病、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、痔疾、冷え性、等
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ゆ〜ゆ〜ありいな
湯量豊富な温泉を利用して、遊びながら健康づくりができる施設。6コースの温泉プール、子供プール、トレーニングルームのスポーツ施設と大浴場、露天風呂、サウナ室、レストゆ〜ゆ〜などのヘルスケア施設がある。

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名号温泉 うめの湯
鳳来峡、梅の里に涌いた天然温泉。
大浴場、露天風呂はじめ、サウナ風呂、気泡浴、打たせ湯など、いろいろな温泉浴が楽しめ、中には、喫茶・軽食コーナーや、湯上りに昼寝ホールなどもある。
場所はココ   名号温泉のホームページ
乳岩・乳岩峡
宇連川と乳岩川の合流点から乳岩川に沿う約4kmの峡谷を乳岩峡と呼び、その奥に乳岩山がある。乳岩山は、標高670mの岩山で、その岩塊には、大小いくつかの洞窟があってそのうち最も大きいものを乳岩洞窟といい、この一帯を総称して乳岩と呼んでいる。乳岩洞窟には、流紋岩質凝灰岩中に含まれている石灰分でできた小さな鍾乳石を見ることができる。
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鳳来峡
湯谷を中心に宇連川の上、下流約5kmほどの間をいう。上流の河床は、流紋岩や流紋岩質凝灰岩が、下流には頁岩層があり、共に板を敷いたように見えるので板敷川の呼び名となった。所々に滝があり、甌穴をつくり、渕となって両側の山々の影をうかべ、その景観は素晴らしく、四季を通じて趣のあの美しさを展開している。
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満光寺 庭園は、庫裡の北に南面し、自然の山を背景として築かれ、庭園の総面積は1,142.77u、書院庭園(北庭)と庫裡庭園(東側)の二庭から成り立ち、一庭のように巧みに組み立てられたもの。井伊谷の竜潭寺(静岡県引佐町)や豊川の妙厳寺の庭園とよく似ていて、江戸時代中期の様式と見られる。
徳川家康が若かりし頃、武田軍に追われて逃走の途中ここに宿をとった時、鶏の声に命を助けられ、寺領三石の黒印状を与えたという話は有名。
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長篠城址史跡保存館
長篠の戦い(1575)の文献や遺品などを保存し、城跡や戦史研究を目的に建築されたもの。展示室には遺品・武器・文献など常時200点余りをわかりやすく展示してあり、また、2階回廊には周囲の史跡の位置を示す展望筒が備えてある。
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鳥居強右衛門磔死之碑
天正3年(1575)5月、武田軍一万五千の大軍に包囲された長篠城は、城主貞昌以下わずか五百の兵でこの猛攻を防いだが、戦況は日毎に悪化してきた。
城主貞晶はこの包囲網を突破し、家康に救援を求める使者として、鳥居強右衛門勝商に命じた。5月14日の夜、野牛門の不浄口から豊川に降り、長走りで鳴子綱を破り、約4km下流に上陸し、西方の雁峰山を目ざした。ここで「脱出成功」ののろしを上げ、15日に岡崎城に入り家康、続いて信長に救援を求めた。
勝商は、城の危急を思い、とって返して16日に再び雁峰山で「援軍来る」ののろしを上げた。さらに城内潜入を図ったが捕らえられ、「援軍来たらず」と言わされるところ、城に向かって「援軍来る」と敵を欺き敵兵の槍先に散った。
城兵は感激して城を死守し、織田・徳川連合軍の大勝を招く要因を作り、武士の鑑として讃えられてきた。
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鳳来寺山自然科学博物館
自然の不思議とおもしろさを学ぶ”をテーマにした自然科学博物館は、鳳来寺山の表参道を約1kmほど行ったところにある。ここには鳳来寺山を中心に、その成り立ちとともに、そこに生息する動物などの実態をわかりやすく展示してあり、わが国で初めての二重展示方式を採用しており、仏法僧コーナーでは、いつでもこの声を聞くことができる。
先に博物館を見学して、自然の知識を得てから鳳来寺山へ
詳しくはここをクリック
サイクリングターミナル
清流寒狭川(かんさがわ)のほとりに建つ瀟洒な館で、だれでも、気軽に利用できる宿泊施設。
” 大自然を駆け抜けるさわやかサイクリング ” をキャッチフレーズに美しい清流に囲まれた鳳来町の自然と名所・史跡等を、サイクリングを通して親しみながらめぐる健康的なリクリエーション。

宿泊室、バンガロー、テニスコート、研修室、バーベキュー場、天然石温泉などがある。
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歴史が歩いた坂道
鳳来寺山は、利修仙人開山以来約1300年の間、文武・聖武両天皇、光明皇后、さらに源頼朝、武田信玄、徳川家康など、時の権力者の信仰を集め、山内には松尾芭蕉、若山牧水をはじめとする幾多の文化人が訪れ足跡を残している。
鳳来寺の門前町である門谷の表参道を、「歴史が歩いた坂道」というテーマに託し歴史や文化に出会える舞台として観来館(みにこんかん)、門及び彫像を整備。
★ 表参道は、平成2年建設省から「ふるさとの坂道30選」に指定。
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赤沢弁財天霊水
国道420号線当貝津川の支流栗島川に架かる三都橋脇に出る霊泉。
遠くから水を汲みに来る人が多く、横の売店では水汲み用のポリ容器を販売している。
ここの水はご利益があるということで有料です。ただし、用意されているコップで一口飲むだけならタダ。
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四谷千枚田
山林が9割を占め平地が限られているため、手作業で急峻な山肌を開墾して出来た階段状の棚田。
田植えの頃は一面が若緑に染まり、実りの秋には、黄金色に輝く。
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亀山城址
応永31年(1424)に奥平貞俊が築城したもので、奥平氏5代が居城し、慶長7年から同15年まで作手藩1万7千石(藩主・松平忠明)の城郭として栄えた。
遺構は、本丸を中心に各種の曲輪、土塁、空濠が現存する奥三河屈指の平山城である。
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文珠山城址
亀山城主奥平氏の砦城、元亀年間(1570〜1572)に武田氏との和睦の証として塞之神社とともに築くはずであったが、延引しただめ、武田氏により強談に合い、一夜にしてこれを築いたため一夜城ともいわれている。
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阿寺の七滝
巣山高原から流れる水は、下吉田阿寺地内で阿寺川となり、礫岩の断層崖を落下して、全長64mにわたる7段の階段状を成し、素晴らしい曲線美を描いて深い滝つぼに落ちる姿は幽玄そのもの。上から2番目と5番目の滝つぼは大きな甌穴を持ち、礫岩にかかる滝のものとしては学術上貴重なものとされている。
また、この礫岩を子抱石ともいい、これを祀ると子供が授かるという伝説がある。平成2年4月28日に日本の滝百選に選ばれている。
国指定名勝天然記念物

毎年7月最終日曜日には「七滝まつり」が行われる。
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百間滝
夏明川の弱い地質の所が掘り下げられて出来た滝。
滝の崖は年代がよく分からない黒い岩石で造られ、大昔の海底谷になだれ落ちて堆積した乱泥岩らしく、メランジェと呼ばれる模様が見える。
滝頭には形の良いポットホールが出来ている。
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鳴沢の滝
この滝は、村の北端、守義地区の当貝津川にかかる落差15mの幽谷景勝な滝。
両岸は、浸食されて深い渓谷と絶壁を形成し、原生林を思わせる樹木の中を一気に流れ落ち、樹木と滝の響きが見事に調和し、四季それぞれの趣のある近郷最大の滝。昭和32年6月に村の名勝に指定。
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保永の三滝
村の南部見代地区を流れる巴川の上流にかかる滝で名前のように三段にの滝が連なり、二の滝が一番高く約10m。奇岩と深緑で代表され、その景観は鳴沢の滝に劣らない渓谷、渓流美を備えている。
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田代の本滝
霊峰御嶽山を望む頂には、修験者の修行の場があり、この滝はこの霊場の中心的な役割を担っていたと言われいる。
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波切不動の滝
大和田の集落を見守る不動様をいただき、糸状に優しく流れ落ちる滝。
逆淵の滝
本宮山から流れ落ちる宮川にあり、すべり台のような可愛らしい滝。
鬼久保ふれあい広場
村有地約30haに各種施設を整備した広場。施設は、体育館・プール・グランド・テニスコートなどのスポーツ施設と湿原の森、あじさいの森、人工林に自然林、そして、全天候イベント広場、リフレッシュセンター、宿泊施設や文化施設などがある。
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長ノ山湿原(長の山湿原)
全国にも数少ない代表的な中間湿原で、面積34,000uの東海地方最大の湿原。
各種の湿原植物がある。2m余り堆積する泥炭層には、樹木・花粉等が埋没しており、学術的に貴重な湿原。
昭和48年11月に県の天然記念物に指定。
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白鳥神社のスギ
相寺の本地の宮拝殿前の推定樹齢800年以上の相対木で、樹高は双方とも48m、幹囲は左が約6m、右が約7mの巨木。 
昭和32年6月に村の天然記念物に指定。
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十六童子
上菅沼地区で、弁天様をお祭りする祠の両側に眷属である16体の童子が祭られている。第1卯鶏童子を始めとして、何れの童子もその可憐な美しさは村内最高の石仏群。
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歴史民俗資料館
作手村役場が総合庁舎として現在のところに建設されたのを機会に、旧役場庁舎を改造し資料館として開館。
その後、昭和58年現在の資料館が完成。延床面積581uあり、1階には、昔の作手村の農家を再現したものがある。2階には、古くから使われていた農作業・山林作業の道具等が展示されている。
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手作り村
山村の豊かな自然や知恵が生んだ山家の文化を体験できる。
郷土料理・田舎料理の作り方や、木工品・民芸品などの加工が体験できる 「とんちん館」、食事処の味彩館、直売施設の山家市、手作り味噌や菓子、惣菜、豆腐、餅など地域産物を加工する「勇気工房」、四季の花々が咲き、各種のイベントが行われる「游々広場」、野菜などのもぎ取り体験や、花のよせ上などが体験できる「みのり館」等々、多彩な体験コースが満喫できる。
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自然公園センター
本宮山に関するデータや動物の標本などを多数展示している。
裏には、ピクニック園地があり、子供たちの遊びの場として最適。 本宮山スカイラインのドライブの小休止にチョッと利用してみては・・・・
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高原ハウス
自然の中でニワトリ、うさぎ、やぎ等の身近な家畜と触れ合いを楽しんだ後は、絞りたての高原牛乳やソフトクリーム、五平餅、田舎料理、ガーデンバーベキュー(要予約)などで腹ごしらえ。
お土産には、各種乳製品、作手村特産品、有機野菜などがある。

名古屋コーチンの焼き鳥は、是非、賞味してみて下さい。
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ラベンダーガーデン
約1万5千株のラベンダーがあたり一面に咲き誇り、まさに紫色のじゅうたん。
ハーブグッズの販売、喫茶、ガラス工芸・手作りクラフトなどの手作り体験コーナーもあります。
収穫祭には、自分の手で、このラベンダーを摘み取ることができる(有料)。
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 花だより

名号地区梅林

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川売梅林

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花の木公園の桜

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鳳来寺山の紅葉

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県民の森の紅葉

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桜淵公園の桜

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能登瀬の大シデコブシ?

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