宇利城跡  新城市中宇利字仁田
文明年間(1469〜1487)に熊谷重実が築城。
享禄3年(1530)11月4日、松平清康(家康の祖父)は三千余りの軍勢を率いて東三河をめざし、多くの城主は清康に従ったが、宇利城主熊谷実長はこれに従わなかったので、松平勢は野田城菅沼定則 を案内として東上(一宮町)で豊川を渡り、宇利城 へ向けて攻撃を開始した。苦戦の挙句、城内の松平方に内応した武将が城に火を放った事により宇利城は落城。城主の実長は裏山伝いに落ち延びた(宇利の戦い)。 これにより三河の統一が成し遂げられた。
この時、松平勢の本陣となったのが冨賀寺と言う。

昭和32年(1957) 9月 6日  県・指定史跡

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 松平清康  菅沼定則  
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2010年4月23日 更新