道善畑 前のページへ戻る   表紙へ戻る

 天正3年(1575)5月、田峯(設楽町)城主菅沼定次は、武田勝頼に味方して長篠の戦いに参加したが、設楽原で大敗すると、命からがら田峯へもどってきた。
 ところが家老の今泉道善、はやくも主君を裏切って、城門をかたくとざし、定次らを入れようとしない。
 定次、しかたなしに、ひとまず信州へ落ちのびたが、道善が憎くてならぬ。
 翌天正4年7月15日の夜なか、不意に田峯城へ襲いかかり、道善以下96名の裏切者たちを、皆殺しにしてしまった。
 とくに道善は、根貝津で鋸びきという極刑にした。
 その地を道善畑という。

愛知県伝説集(泰文堂) より引用


道善畑

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