江崎巡査 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 明治19年、渥美町一たいにコレラという病気がたくさん出ました。
 コレラはうつるが早く、うつったがさいご、高いねつとはきけに苦しんで死んでしまいます。だから、コロリだといって、おそろしがられていました。
「まんだいきのあるうちに、がんおけへ入れちゃったげえな。」
「どうせ助からんだで、はや死んでもらったほうが、村のためだ。」
「コレラらしい人にゃあ、毒をのませるげえな。」
 そんなひそひそ話で、村中がさっきだっていました。
 江崎巡査は、6月15日に、消毒をするため、医者と一しょにこの地へきました。19日、また堀切村でコレラが出たという、すぐ消毒に行くと、近所の人たちは、
「コレラじゃない。かえれ、かえれ。」
「毒をまいて、まめなもんまでころす気か。」
 などといって、さわざたてています。病人をなんどのくらやみにかくして消毒をさせないのです。
 江崎巡査は、よくよく話してきかせやっと消毒をすませました。
 22日、江崎巡査は、こちらのようすを田原警察署へ報告に帰るとちゅう、若見までくると急に苦しくなり、はげしいはきけで歩きつづけることができず、人力車にのりました。
 加治までくると、もう人力車にものっておれないほどです。
「わしはコレラがうつってしまった。この病気で田原の町へ帰れば、大ぜいの人にうつって、大へんなことになる。」といって、加治の林の中へ入り、車夫にたのんで、田原警察署や役場へ知らせてもらいました。
 医者やおくさんのじうさんがかけつけて、つれて帰ろうとしましたが、ききいれません。
 人家を遠くはなれた林の中の、くちかけた小屋でねていました。じうさんが一心にかいほうしましたが、あくる日の23日に、とうとう亡ってしまいました。
 じうさんもまた、コレラがうつって、26日の夕方、同じ小屋で亡ってしまいました。
 ふたりはけっこんしたばかりで、25才と19才でした。
 このおかげで、田原の町ではコレラにかかった人は、ありませんでした。
 ごんげん山のふもとに、江崎巡査とじうさんの記念碑があります。毎年命日には、田原警察署で法要を行います。

「もと」ばあちゃんのおはなし(田原市教育委員会)より引用 


江崎邦助巡査夫妻殉職之地

江崎邦助・じう夫妻の墓

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