● お田戸さんの怪 前のページへ戻る   HOMEへ戻る   東三河の伝説・昔話へ 

 軍国調のはなやかであった、大正から昭和にかけて当時福江町大字中山字北郷通称小中山の田戸神社の側にあった陸軍試砲場には、地元からも従業員として沢山採用され、日一日と活気 を帯びていたようです。 はては田戸神社も迷惑な存在すらと考えられて来ました。 その現れとして境内の一部を射場敷地とし施設を設ける計画で、近くに作業小屋を建て準備をすすめようとしました。 真夜中のこと、その作業小屋は 「めりめり」 と締めつけられる感じと共に大地震かと思われる程のひどいゆれに当直の職員は生きた心地もありませんでした。 夜があけて 表へ出て見ても別段変わった様子もありません。同僚に恐しかった昨夜の話をしても、「寝ぼけたな、夢にうなされたんだろう」と、とり合はない者もあり、ある者はまゆをひそめるもの もありました。 次の夜が訪れました。 丑満時と思われる頃、またしても締め付けられる物音と、ぐらぐら大地震に出会ったかと思われる大ゆれ、「只事でない、夢ではない」 と当直員は 青くなりました。
夜の明けるを待ちかねて上司に申出ました。この話をきいた地元の人達は「それはお田戸さんのお使い、大蛇のなす業だ、恐ろしい事だ境内を荒してはならない」と言い、遂にその計画は 中止され模様がえとなったと言われます。
 また、広い射場の域内には運搬用にトロッコ線が敷設されていました。ある日従業員が3人グループとなり、トロッコを走らせていましたところが前方のレールを蛇が横切ろうとしてい るのが見えました。 3人はブレーキもかけず、スピードを増して遂にその蛇を轢き殺しました。胴体二つに切れた蛇、見るも無残でした。然し其の後何日もたたぬ中に次ぎ次ぎとその3人は名も知れぬ病でなくなりました。誰言うとなく蛇の崇りだ、お田戸さんのお怒りだと噂が流れました。それから後どんな小さな蛇でも決して殺す者はなくなりました。
 更にまたお社の後方から西の浜にかけて巾2間ほどで、長々と続く湿地帯があり、丈の低い雑草が生い茂り、恐らく飛行機の上からは緑のジュウタンが帯の様に見えるでしょう。
 村の人はこれを「お通り道」と呼んで決して此処の草を刈りません。何でもお田戸さんと野島の間を大蛇が往復するその道だと伝えられています。
 ある人はこんな話もしました。ある将校があやまって蛇を殺しました。しばらくたった日、家から可愛い娘が病気になったと、知らせがありました。たまたま休暇が得られましたので家 に帰り、娘の枕辺に行きました。娘は大声あげて叫びました。「こわい!蛇が」と、お父さんが娘には蛇に見えたのです。「ハッ」と思った将校は早速射場へ帰り、田戸神社にお詣りして お詫びしたと伝えられています。其後娘さんの病気がどうなったか聞いていません。まだまだお田戸さんには不思議な話が沢山あるようです。境内の木を切ってはならない。松葉も神主以外手をかけてはならぬ等々きりのない程あげられると言います。
  渥美町の伝説(渥美町教育委員会発行) より引用


田戸神社

伊良湖試験場

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