よらきの地蔵様 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

  ・本郷 江戸なら よらきは箱根
         中の大森りゃ 鈴が森

  ・よらき地蔵さま 軍に負けて
         今じゃ 八ッ田の 田の中に

こんな唄が、いつの頃からか里人たちの間にうたわれて来た。
 昔、源平合戦の時、京都の吉田明神の神主元久が都を逃げ出し、遠州より信州諏訪へ落ちのびる途中、このよらき峠へさしかかった。
「くたびれ申した。ここらでひと休みして行こう」
「はい、ここまでくればもう安心でございます」
「しばらくおくつろぎ下されませ」
元久には2人のつき人がしたがっていた。
「もうあと幾日かすれば諏訪へもおつきできるでしょう」
「それにしても遠いのう」
峠を少し下り、信州を望むところで腰をおろし、ひと休みしている時ふしぎにもふしぎ、神主の持物の中の守り本尊さまから、ギラギラッと後光がさしてきた。
「これは勿体ないことだ。自分たちばかり休んでいて本尊さまにお体みなくては」
と取り出して、峠の石の上におかれてうやうやしく拝んだ。この時、峠の石に本尊さまがおうつりになり、峠の石地蔵尊になっておられたと言う。それ以来
「よらきの地蔵さま、よらきの地蔵さま」
といわれ、峠をのぼり下りする旅人たちの安全を守って、ごりやくが高く人々の信心も大へん厚かった。旅の人たちは、この地蔵さまに道中安全の願かけをしては旅をした。
 その後、足利氏の世となり、将軍義満公が戦に負けてこの地を通る時、信州戸隠大明神とこの峠の地蔵さまにご祈願なされたこともあるそうな。
 世の中が移りかわり時代もくだって、甲斐の武田信玄公の第三子勝頼公が遠州浜松の合戦にうち敗れ、逃げ帰ってこの峠にさしかかり、一夜の陣を張ったことがある。その時のことだ。部下の者たちの中に、戦さに負けた腹いせか、このお地蔵さまを下の谷へ投げ落してしまった。
 それ以来お地蔵さまは勿体なくも下の八ッ田の田の中に埋ってしまわれたげな。
その後、再び京都の高僧が仏様の霊気を感じられ、埋もれた地蔵さまが八ッ田にあることを知り村人衆にその霊顕あらたかを説いて、峠の木の下にていねいに祀ったという。
 今もなお、よらき峠のお地蔵さまは、人々を永くお守りなされて立っておられる。

東栄の民話(東栄町教育委員会発行)より引用


よらき地蔵様

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