● 望月峠 前のページへ戻る   HOMEへ戻る   東三河の伝説・昔話へ 

 天正3年5月、長篠の戦に敗れた甲州軍(武田勝頼方)は寒狭川づたいに一路信濃路に向って敗走した。
 望月右近太夫義勝もその一人であった。 道にはぐれた義勝は一人危うく難を逃れ、5月22日には御薗村までたどりついた。 夕暮れ近くあたりはひっそりとしていた。
トントントン
「頼もう、頼もう、わしは決して怪しい者ではござらぬ。 故あって名は名のれぬが朝より何も食しておらぬ、腹が減って動けぬ故、どうか、何か食べ物をもらいたいが」 とある民家をたずねた。 うす暗い中から1人の老婆が出て来て、
「どこのどなたか存じませぬが、この通りの貧乏家であなた様にさし上げるような物がありませぬ。 ただ大豆がちいとばかしありまする。 これでよかったら」 と大豆を炒って差しだした。
「かたじけない。それではいただくぞ」
と義勝は刀の小柄で大豆の皮をむいて食べた。
「婆よ、これより信濃へ向かうにはどのように行けばよいかの」
婆は < ははア、これは > と思いながら、よからぬことを考えた。 < ひょっとすると、名のある落人のお人に違いない。 何とかして討取ってたんまり恩賞に預りたいものだ > と一人合点した。
「へいへい、これはこれは、その信州への通すじは大へん難儀でな、ここん道を入ってどんどん行くと、それ…………」
とうとう深い山の中へ迷いこむ道を教えてしまった。
そして、すぐ村人たちに告げると、手に手に竹槍を持った村人たちは山中で侍を待ち伏せた。 そんなことは露知らず義勝は、日暮れの山道を信州へと急いだ。
峠近くに差しかかった時、バラバラッと出て来た大勢の竹槍に取囲まれた。 義勝は、はかられたと思ったが、今や遅しここよりとても逃れることは出来ないと。
「汝等、竹槍をもって我に迫るは、見ぐるし。我が刀をもって我を斬れ。 我は信濃の産。死後は信州風の吹き来る所に葬れ。さあらば仇せじ」
と大喝した。
  
   仇なれや 名を長篠に留めはせで
               御園の草の露と消ゆとは

と辞世の句を残し、自ら腹をかき切り自若として死んで行った。
 百姓たちは、死骸をその百姓家の側に埋め、大小の刀と持ち金等を奪った。
その子孫に大へんなたたりがあり、不幸ごとが次々とおこった。 これは、あのお侍の怨霊のたたりだ、お侍の言いのこしたように信州風の吹く御園峠に移し祀らねばと、この峠に小石の祠を建ててねんごろに祀った。 又、刀は無銘なれども名刀であり、たたりあるをおそれて氏神様の熊野神社に奉納した。
 現在は望月様とあがめられて、ねんごろにお祭りが行われている。
  「東栄の民話」(東栄町教育委員会 発行) より引用


望月様

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