● 亀ヶ城と金掘山 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 

 亀ヶ城は、伊藤丹波守の出城であった。
その頃は戦雲急を告げる戦国の世、東に甲斐武田の軍あり、西に織田、徳川の軍あり、諸国には群雄が割拠して互いにしのぎをけずりあう、まさに騒然の世であった。
 伊藤丹波守は徳川軍に属し、北方信濃より攻め来る武田勢を恐れて、ひどく警戒していた。城とは申せ、当時このあたりの城は極めて小規模のものであった。武田軍は勢に乗じ、遠州の今川を攻め、三河の織田の陣営にせまる気配を示していた。
 丹波守はこの出城によって、諸方からの情報をさぐり何とかして難をのがれようと努力していた。里人たちも同じ思いでこれに協力していた。情報によると、どうやら武田軍はもっと東の方よりこの三河路に侵入するらしい。北からの侵入を極度に恐れていた丹波守は、少しばかり安堵した。大軍がどのような作戦に出るかば当時の小城にとっては大問題であった。
 果して武田軍は勢いに乗じ、東より一気に長篠城にせまった。世に言う、長篠の戦である。設楽ケ原の決戦は遂に織田、徳川連合軍の勝利に帰し、さしもの武田軍は敗走の憂き目にあった。
 戦が終り人々は、久しぶりに訪れた山里の静かな日々を送れるようになり、亀ヶ城もいつしか廃城となった。その後、時移り人は変り、幾星霜を経て人々はこれらのことをすっかり忘れ去っていた。
 ある年の春の頃、丹波守の後裔と名のる者が尋ねて来て、竹久保という家に泊りこんでいた。その人が何をする人なのか、何のために来たのか、隣り近所の人たちは全くわからなかった。毎日、古い地図のようなものを持って、附近の山をごそごそと歩き回っていた。
「おい、源平さ、今日もあの男、何かもって城越の方へのぼって行ったぞえ」
「ほうかえ、何ずらのう」
里人たちは、不思議がった。そして、今日も又、その人は何か持って天王方へおりて行った。
里人たちはいよいよ不思議がった。
「毎日、毎日なんずらのう。杖ん棒ついて」
「今日は経塚ん方へ行ったぞえ」
「ほう」
 そして幾日かが過ぎた。
里の人たちの噂は、次から次へと村中に広がって、みんな知らん者はなかった。
「おい、藤兵衛さ、あの人いつの間にかおらんくなったぞえ」
「そう言やあ、この頃見んのう」
「どうしちゃっつらのう」
 里人たちは、また、また不思議がった。そのうちに、
「おい、あの男、なんでも、榎久保方から、お宝を掘って持って行ったそうだぞえ」
「そうかえ、そのお宝って何ずらのう」
「刀んみたようなものかえ」
「いんね、つぼんこん見たようなもんだって」
「ほう」
「あののう、そのつぼんこにゃあ、なんでも軍用金の小判が入っておったちゅうぞえ」
「ああ、武田勢に攻められ敗けた時、困るで丹波守さまがつぼんこへ入れて、土ん中へ隠いといたっちゅう話だぞえ」
「ほう、それであの男、毎日そいつを探いとっただのう」
「とうとう探しあてたちゅうぞえ」
「ばか見たのう、おらんとうが掘りゃあよかっただがのう」
 それから、里人たちは、だれ言うとなくこの山を金掘山と呼ぶようになったげな。

東栄の民話(東栄町教育委員会発行)より引用


亀ヶ城跡

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