● 石造り観音 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 昔、橋良の村に働き者の五助という百姓がいた。 とても器用な人で、田畑の仕事の暇を見つけては、藁草履を編んだり、竹でざるを作ったり、板や角材で梯子や箱、机などを上手に作り、それらを安い値で村人たちに売っていた。 村人たちは、五助の作った物は丈夫で長持ちすると喜んでいた。
 朝早くから夜遅くまで働きづめで、とうとう五助は足が痛むようになってしまった。 膏薬を貼ったり、あんまさんに掛かったり、いろいろやってみたが、何の効果もなく一向によくならなかった。
「おれは、働くだけがとりえで、信心がたりなんだ。 今日からは朝晩お参りをしてなんとか足の痛みを治してもらおう」と毎日熱心に神棚や、仏壇にお参りをしていた。
 そんなある夜、夢の中で不思議な声が聞こえてきた。
「お前の足を治すには、草に埋もれている観音さまを掘り出し、供養することじゃ」
とお告げがあった。
 驚いた五助は、翌日から痛む足を引きずりながら、何日も村のあちこちを捜し廻ったが、なかなか見つからず、困りはてて座りこんでしまった。 その時、ふと昔あったお寺の場所を思い出し、ようやく、お寺の跡地の草むらから、観音さまを見つけ掘り出した。
「ああ、もったいないことじゃ、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・・」
 五助は、泥だらけの観音さまを、きれいな水で頭、顔、体と丁寧に洗ってあげた。 そして、その地に小さな桐を作り、毎冒観音さまにお花やお線香を供え、お参りし、以前にもまして信心するようになった。 すると、いつの間にか、お告げどおり痛んでいた足がすっかりよくなっていた。
  観音さまの噂は、たちまち村中に広がり、大勢の人がお参りするようになった。 村では立派な観音堂を建て、観音様を大切にお祀りした。
  その後、この地に公園が作られ、観音堂は取り壊されてしまった。 観音さまは、村人たちの手で正光寺に移され、門前の三十三観音に守られるように真ん中に安置された。 村人たちは、手厚く世話をし、観音さまを心のよりどころにした。
 今も1年に2回、正月2日とお盆明けの8月17日、村のお年寄りが集まってご詠歌を唱えお参りしている。

 豊橋の民話「片身のスズキ」(豊橋市図書館発行)より引用 


正光寺の石造り観音

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