竹内王子の死を悼み身投げ 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 「もう、この上は神様や仏様におすがりして、ご全快を祈るほかはありません。」と、お后がささやかれた。
 このところ、星野の郷(現在の下条)の仮宮は暗い雲に包まれて、しのびやかに行き来する官女たちの、足の運びも不安と愁いに沈んで、もの悲しい気分が御殿のうちを覆っていた。時は今を去る1200年ほど前の第42代文武天皇が東征の途、豊川のあたり星野の郷に仮宮を定めてお住いの頃であった。
 たまたま王子が誕生され「竹内王子」と名づけられ、皇をはじめ御殿の中は喜びに満ちあふれていた。里人たちも、お祝いの宴を開いて、にぎやかに喜び合い語り合っていた。
 ところが、つい先ごろから、ふとした病になやまされて、お付きの医師の手をつくしての治療と、涙ぐましい官女たちの看護にもかかわらず、病状は日増しに悪化をたどる一方であった。
 そこで皇は直ちに、侍従の草鹿砥公宣を召して、勅使として当国第一の霊験あらたかな名刺、鳳来寺山へ伺参させ、護摩供養をして平癒を祈願した。また、里の人たちも近所のお宮やお寺にお祈りをして、ともども若い王子のご全快を願うことに明け暮れた。しかし、こうした上や下のお祈りも空しく、竹内王子は遂にこの仮宮の内で世を去られた。
 皇をはじめ、宮の中の人々の嘆き悲しみは筆舌につくせぬものであった。特にお付きの官女12人は、看護のかいもなく短いお命の王子の死を悲しみ泣き続けた。「せめて若い王子さまの死出のおちみしをお慰めして、お供をいたしましょう。」と話し合った。
 ちょうどその夜は、空もこの悲しみに耐えかねたように、春雨がしとしとと降り続けていた。12人の官女たちは、御所の近くにある池の岸に立って、今はこの世にない王子さまの冥福を祈り、「お供をさせて頂きます。」と、そろって池に身を投げ、美しくも若い命を果てたのであった。
 春秋ここに千余年、りっぱな王子のお墓を中心に、12人の官女の墓を里人たちが、「御所様」とあがめて毎年、盛大な供養をし、悲しくも不遇にして早く世を去った若い王子と、けな気に散った12人の魂をしのんで、今もなお、この物語が語り継がれている。

ふるさと豊橋(豊橋市校区社会教育連絡協議会発行) より引用


正楽寺と竹内王子と12人の官女の墓

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