● 千体骨地蔵 前のページへ戻る   HOMEへ戻る   東三河の伝説・昔話へ 

 今から、およそ820年前のこと、平家の武将原田太夫種直は芦屋浦(福岡県)の合戦で、源氏に敗れて捕らえられ、鎌倉の土牢に入れられた。
 種直は戦に出るとき、妻の栄耀に、
「お腹の子は花若丸と名付けよ」と告げていった。
 花若丸は成長するに従って、父を想う気持ちが強まっていった。 13歳になった時、家臣の子、17歳の藤王丸と共に母に連れられ芦屋浦に行った。
 美しい芦屋浦の波打ち際で戯れていたが、波のいたずらか砂が形を作り、それが人の顔のようにも、人形のようにも見えるのに驚いた。
 ここは、かつて父や兄が戦った芦屋の合戦場の砂浜であり、砂の中には、この地で討死にしたと思われる源平の武将たちの遺骨だろうか、たくさんの骨があった。
砂の中から拾いあげた骨をこわきないように積み上げていると、母が言っていた
「お地蔵さまは、一心に祈れば願いごとをかなえて下さるのですよ」という言葉を思い出した。
「そうだ、この骨を集め、すりつぶして練り上げ、千体のお地蔵さまを作ろう」
と決心した花若丸は、戦場に消えた源平両方の武将たちの霊を慰め、お経を唱えながら、大きさ10センチほどのお地蔵さまを1体、1体、心をこめて作り上げた。
 完成した千体のお地蔵さまを丁寧に厨子に納めると、藤王丸が背負い、母に見送られて鎌倉に向かって旅立った。
 お地蔵さまを作り始めた時から花若丸は、父の捕らわれている鎌倉へ行き、自分が代わりに牢に入り、父を許してもらうよう願い出たいと思っていた。厨子を背負い、念仏を唱えながら、鎌倉の町を歩く2人の若者の姿は、人々の噂となり、やがて源氏の大将、源頼朝公の耳にも入った。
 頼朝の命により、花若丸は目通りが許され、御前に厨子を差し出した。藤王丸の手で厨子の扉が開かれると、その瞬間、千体地蔵尊から後光がさした。どの地蔵尊の顔も、戦で失われた人を 痛む悲しみと、深い慈愛の表情があった。
 花若丸は、千体地蔵尊に込めた思いを頼朝に話した。 頼朝は、花若丸の親を思う気持ちに心を打たれ、種直を許した。そして種直たちは、三州足助に移り住んだ。
 種直一行が足助に向かう途中、立ち寄った花ケ崎(現在の南松山町)は、芦屋浦を偲ばせる景色の美しさであった。後に母、栄耀は、この地に正林寺を建立し、千体骨地蔵尊を安置した。
 現在、正林寺の地蔵堂には、厨子に納められた千体地蔵尊が祀られている。
 豊橋の民話「片身のスズキ」(豊橋市図書館発行) より引用 


松林寺と地蔵堂

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