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吉田城![]() |
今川氏の命を受けた牧野古白が築城、その当時は今橋城と呼ばれていた。 豊川を背負う半輪郭式の城の縄張りは、天正18年池田輝政による。水量豊かな豊川を背に土塁や堀を設け、その周りに侍屋敷を置き、さらに外周に総堀をめぐらした。本丸背後につくられた2段の石垣は高く堅固である。 桶狭間で今川義元が敗死したのち、徳川家康が酒井忠次を城主としておき、天正18年(1590)徳川家康の関東転封とともに、池田輝政が15万2千石で入封。その後、譜代大名が歴代の城主となるが、その交代は小刻みで、池田輝政の計画は実現されることなく明治維新を迎えている。(日本通信教育連盟発行「城と城下町」より引用) 。日本の名城百選 場所はココ |
賀茂しょうぶ園![]() |
約3万7千株、250種のハナショウブが面積およそ9,900uの園内に鮮やかに咲き競う名所。 昭和45年の開園以来、その圧倒的な大パノラマは見る者の心をとらえて離さない。 江戸系、肥後系、伊勢系の3品種に大別されており、花の香りが漂うなかをゆっくりと散歩しながら、その美しさを楽しむことができる。 しょうぶまつり期間中は、多彩な行事が開催されるほか、夜間も花が観賞できるようにボンボリ等の夜間照明が配置されている。 場所はココ |
向山梅林園![]() |
東三河最大の梅林園で、園内には約30種類の梅の木約420本があり、3月初旬に「うめまつり」が開催される。豊橋駅から約2kmと、市街地にも近い。 場所はココ |
総合動植物公園![]() |
愛称「のんほいパーク」。27万9千uの敷地は動物園、植物園、遊園地、自然史(恐竜)博物館の4ゾーンに分かれ、子供から大人まで1日ががりで楽しめる人気のスポット。 場所はココ 豊橋総合動植物公園のホームページ |
葦毛(いもう)湿原![]() |
チャートの礫が所々露出するほど土壌が薄い湿原。ヌマガヤ群落、シラタマホシクサ群落、イヌツゲ群落、ハンノキ群落など多様な群落が分布し、多くの植物が生えるのがこの湿原の特徴。 15,000uの湿原部分に湿原性植物約250種、昆虫約200種、鳥類約50種がみられる自然観察マニアの天国。ミカワバケイソウなど食虫植物の珍種も多く、3月〜11月にかけてはさまざまな花の開花期が次々と訪れる。ことに秋のシラタマホシクサの一斉開花はみごと。 場所はココ |
| 嵩山(すせ)の蛇穴 | 蛇穴といっても、ここは標高140mの斜面に南向きに開口する天然の石灰洞穴。 発掘調査で縄文文化遺跡と判明し、国の史跡に指定。75mの奥まで行くことができる。 場所はココ |
| 汐川干潟 | 渥美半島の付け根、豊橋市と田原町に広がる日本最大級の干潟。 約250種の鳥類や干潟特有の動植物が見られ、潮干狩りやハゼ釣りもできる。 場所はココ |
前芝燈明台![]() |
日本で二番目に古い木造瓦葺きの灯明台。 前芝湊は年貢米を運ぶ廻船が発着するなど江戸時代水上交通の要塞だった所。 ここの光は、田原から西浦の海上からも確認できたとか。。昭和41年に修復復元。 場所はココ |
二川宿本陣資料館![]() |
東海道五十三次の33番目の宿場、二川宿を3つのテーマで常設展示している。 現存する本陣としては全国に二川宿本陣と草津宿本陣の二カ所だけ。 この本陣は、江戸時代初期寛永年間頃より宿の有力者である後藤五左衛門が問屋役とともに中町の北側で勤めていたが、再々の火災のため没落し、寛政5年(1793)以降は紅林権左衛門が後藤家の名を継ぎ本陣職を引き継いだ。しかし、文化3年(1806)12月の火災により紅林家も再起することができず、文化4年(1807)以降明治3年(1870)の本陣廃止まで馬場彦十郎が現在地において本陣を経営したもの。 本陣の建物は、間口32m、敷地面積1,733u、建坪598uと宿内一の建物であった。 場所はココ 豊橋市二川宿本陣資料館のホームページ |
豊橋市美術博物館![]() |
城跡を利用した豊橋公園の中にある博物館。ここの自慢は郷土資料の豊富なコレクション。 様々な考古資料、江戸時代の酒器千点、郷土作家の美術作品などが展示されている。 場所はココ 豊橋市美術館のホームページ |
瓜郷遺跡![]() |
低湿地に囲まれた自然堤防の上に立地する、弥生時代中期から古墳時代前期(2000年前〜1700年前)にかけての集落の跡。 昭和22年から27年までの間、5回にわたり発掘調査が実施され、土器・石器・骨角器・木製の農具などが出土。これらの出土品は東三河地方の弥生文化を知るうえで重要な手がかりとなっている。 ここでは、農耕(主に稲作)のほかに、漁撈(漁をすること)や狩猟などが行われていたことがわかった。 瓜郷遺跡は唐古(からこ)遺跡(奈良県)、登呂(とろ)遺跡(静岡県)などとともに弥生時代の低地にある遺跡の一つとして貴重なもの。 出土品は、豊橋市美術博物館に収蔵されている。国指定史跡 場所はココ |
| 石巻山温泉 | 石巻山頂に涌く単純泉。 石巻山、石巻神社の散策や、自然科学資料館の見学、柿狩り、みかん狩り、ちょっと足を延ばせば潮干狩りと一年中遊びがいっぱい。 石巻荘、石山荘、見晴らし荘などの旅館が建ち、豊橋市内を見下ろす夜景が素晴らしい。 場所はココ |
山本勘助の碑![]() |
山本勘助の先祖は清和天皇の後裔、新羅三郎義光の三世、山本遠江守義貞から出たと言われています。 家は代々駿河国富士郡に住み、山本伝次郎幸綱になった時、三河国八名郡賀茂荘の2500石を与えられ賀茂の照山に住み着きました。 この人が山本家第一代で、現在本願寺に「山本勘助両親の墓」があります。第二代は山本帯刀といい、前記を領して賀茂神社の神官をしていました。 第三代は山本藤七郎光幸といい鶴巻に住むようになりました。この人には3人の男の子があり、長男を清七、次男を清助、三男を源助といいました。この源助が勘助の幼名です。 山本勘助は、明応9年(1500年)8月15日にこの地で生まれました。 (碑の解説より) 場所はココ |
医王山本願寺![]() |
![]() 豊川稲荷の「豊川妙厳寺」の末寺。 また、寺の裏手には、勘助の両親の墓があるが、 墓石の表面は磨耗して判読が困難。 場所はココ |
賀茂神社![]() |
賀茂神社は、古い歴史を持つ神社で、県指定有形文化財の本殿をはじめ様々な文化財がある。 神社の入口には賀茂しょうぶ園があり、神社境内には針葉樹と照葉樹からなる鎮守の森がある。 場所はココ |
| 花だより |
石巻の梨の花![]() 場所はココ |
かたくり山![]() 場所はココ |
五色つばき![]() 場所はココ |
菖蒲園の桜![]() 場所はココ |
賀茂しょうぶ園![]() 場所はココ |
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