鐘の響き合い 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

菟足神社の南の田圃の辺りが海だった頃、波の静かな夜は神社の献灯の明かりが海に映り波に揺れ、其の美しきは通り掛かりの人も思わず立ち止まって見とれる程だった。
 或る夜、竜宮の乙姫もやって来て、波と光の楽しげな舞いをうっとり眺めていた。すると微かに鐘の音が聞こえた。然し、それきり、聞こえては来ない。空耳にしても妙なる鐘の響きだと思い乍ら再び景色に見入ってたが、先程聞こえた様な美Lい鐘の音が響けば祭神も喜ばれ、村人達も旅人も心慰められるかもしれぬと、乙姫は此の波と光の織りなす景色に相応Lい鐘の音を捧げようと思い立った。世に争い事が無い様にと祈りを込めて雌雄の鐘を菟足神社に捧げた。其れ以来、二つの鐘が朝に夕に鳴らされ、村人も旅人も戦いの無い世を喜び、二つの鐘の響き合いを聞いていた。
 何時しか世の中は乱れ、村人の願いも空しく彼方此方で争いが続く様になった。何時攻め込まれるか分からず、鐘が争いの為に壊されたり持ち去られたりする様な事があっては乙姫に申し訳が立たないと、深い穴を掘って世の中が収まる迄埋めておこうと相談はまとまり、村の重立った人が神社の南側にこっそり鐘を埋めた。
 然し時が経つに連れ、埋めた村の人も、話し合った人達も多くが亡くなり、鐘を埋めた事も忘れられていた。
 そして長い争いも終り、仕事に精出す事が出来る様になった或る年の事、雨が降り続き神社の辺りは一面水浸しになった。やっと晴れて水も引いた後、土の中から鐘が覗いている。昔、爺様に聞いた鐘かもしれないと村人は備中や唐鍬を担いで集まり掘り出して洗い清め、神社の鐘撞堂に納め吊した。すると年寄りが確か雌雄二つ有った筈だと言い出した。皆で探すと、やはり雌の鐘らしい物が見付かった。処が堀りだそうとすると不思議な事に鐘はどんどん地の中に沈んでいく。慌てて掘ったが、其の度に鐘は逃げる様に潜り、伊奈城の辺り迄行ってしまった。
 世に出るのをこんなに嫌がるのには何か訳があるのであろうと、掘るのを諦め、雄の鐘だけを心を込めて撞く事にした。鐘が美しい音色で響くと其れに答える様に地の中からも、微かに鐘の音が響いてきた。
 然し、雌の鐘が何故掘り出されるのを嫌がったのかは、遂に分からない。

爺と婆の話 夢見橋(春夏秋冬叢書発行) より引用 


沈鐘伝説地

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