六部さまのお墓 前のページへ戻る   表紙へ戻る 

前略
 北岡のお堂と言われる渕竜院というお寺は、今から300年あまり前の貞享元年3月1日に僧智秀さんが開基となって出来たお寺であります。
このお堂が出来てからまもない27年たった時のことであります。
 1人の六部さんが白衣を身にまとい、天蓋を頭にいただき、笈という法華経を入れた箱を背負い、錫杖という杖をついて伊那街道の北岡の坂を登ってきました。鳳来寺に願い事のお参り修業をしてここまで来たんでしょう。坂を上がって間もなく、その六部は諸国修業の旅の疲れが出たのか、お堂の前でグッタリと行き倒れのようになってしまいました。村人の知らせで渕竜院の住職の智秀さんは、
「このお方は、六部さんだ。」
と言ってさっそく手厚く看病をいたしました。村人たちも食事を届けるなどしてお見舞いをしました。
 この静養の間、村人たちは六部さまから、廻られた諸国のようすを聞いたり、無事安穏の祈祷をしてもらったりして六部さまと親しくなり、また尊敬するようになりました。
 人情こまやかな時代だったんですね。
 ところが、それから間もなくこの六部さまは息を引き取ってしまいました。
 六部さまは息を引き取る前、お見舞いに来た村人に言いました。
「ああ、大変お世話になりました。もしわしが死んだら誠にお手数ですが、何かの因縁と思われここに埋葬して下さい。お世話になったお礼は何もできませんでしたが、あの世で諸国修業の念力で、村の方々の無事安穏と、お幸せをお祈りいたしましょう。」と言われて息が絶えてしまったのであります。
 村人たちは、このお気の毒な淋しさの中でつくづく思いました。
「諸国修業をつまれた立派な六部さまは、ずっとこの村に居てくださると思っていたのに、不思議にもこの北岡村で息を引き取られたのは、村にとって何かの因縁があってのことだろう。村人たちの心のこもる回向をしなくては、・・・」
と言うことでお堂の前に埋葬し、小さいけれども立派なお祠を建てました。
 間口1m30cm、奥行き1m70cm、屋根の高さ1m90cm、ほんとに小さなお祠です。屋根ははじめ板葺きだったようですが、明治の始めごろ、瓦葺きにしたようです。
 そしてお祠の中には、戒名として「六十六部行心信男、正徳元年6月21日」と刻まれた墓石が建てられました。
 六部さまが北岡で亡くなったのは、さきほども言ったようにお堂が出来てから間もない27年後のことでした。
 六部さまの葬儀は立派に行われました。お堂の住職の智秀さんのねんごろな読経で、村中総出で立派な葬式をすませました。
 その後も村人たちは花をお供えするなど、お参りは絶えませんでした。また、伊那街道を通る人たちも、このいわれのある六部さまのお墓にお参りして旅をしました。
 後略

ふるさとの伝説 昔のはなし(宝飯郡一宮町発行)より引用


六部さまのお墓

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