●  宝円寺の枝垂れ桜の由来 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 上長山の奥に松源院という由緒ある立派なお寺があります。 そして、すぐ近くに宝円寺という松源院の子寺があります。 宝円寺は、昔は有宝庵といいました。 この宝円寺の入口に、愛知県指定天然記念物の枝垂れ桜があります。 この界隈では立派な大木の枝垂れ桜でしたが、第二次世界対戦中(大東亜戦争)食料増産のために邪魔になる枝が切られてから、次第に勢力が衰えて幹が枯れはじめ、今では枯れかかった幹から出た、子の枝垂れ桜が親木に代わって花を咲かせております。 親孝行な枝垂れ桜ではありませんか。
 ところで、この枝垂れ桜は、誰が、いつごろ、どうして宝円寺の入口に植えたんでしょうか。 このことについて、こんな話が伝えられています。
 宝円寺の親寺である松源院は、ずっと昔は本宮山の中腹にありました。 ところが火災にあって一時衰退しておりましたが、今から450年程前、つまり明応4年5月ですが、大中一介という和尚さんが大変苦労をなさって、今のところに新しく建て直したのであります。 偉い和尚さんですね。
 この大中一介和尚さんには、大勢のお弟子さんがいました。 中でも有玉さんという坊さんは大変頭が良く、色々なことを覚えていて、お弟子さんの中では頭角をあらわし1番のお弟子さんでした。 しかし、仲間のお弟子さんに大変きびしかったというのがこの人の玉にきずでした。
 やがて、松源院の大中一介和尚さんも寄る年波になって、
 「わしの跡を誰に継がせようかな。」
と考えるようになりました。
 ある日のこと、1番弟子の有玉さんを呼ばって、
「こういうわけでな、わしの跡を継いでもらいたいと思っているんだが。」
と言いました。 すると有玉さんは、
「大変ありがたい、ありがたいお言葉で恐れ入ります。 しかし、ほかのお弟子さんたちが納得するでしょうか。 今、わたしはお弟子さんたちに対し偉ぶってきびしすぎるという自分の不徳を、自ら反省している次第です。 ですから、立派な和尚さんの跡を継ぐなんてとてもそんな資格はありません。 どうか次の弟弟子に跡を継がせてください。 お願いします。」
そう言って固く辞退したのでございます。
 この言葉を聞いた大中一介和尚さんは、大変寂しい思いをしました。 この松源院の復興にあたって片腕となって努力をしてくれた有玉さんだったからです。
 そこで有玉さんの言ったとおり、次のお弟子さんに跡を継がせることにしました。 そして、有玉さんにはなんとか身の立つようにしなくてはという考えで、子寺である有宝庵、つまり宝円寺の和尚さんにすることにしました。
 自分の不徳をお許しいただいて、宝円寺の和尚さんにしてもらった有玉さんは、感謝感激で胸が一杯でした。 これからは、頭を低くして暮らさなくては、また、温かい心で村の方々に接しなくてはと、今までの懺悔の気持ちをこめて植えられたのが、今、宝円寺の入口にある枝垂れ桜だと言われています。
 こうして、有玉和尚さんが寺の入口に枝垂れ桜を植えられてから450年たった今も、道行く人たちには、「今日も一日お幸せで。」 とささやいているかのように、又寺を訪れる人には、「どうぞ気軽にお入りください。」 と言っているかのように、有玉和尚さんの気持ちをあらわして、枝を垂れ、風にゆれています。
  ふるさとの伝説 昔のはなし (宝飯郡一宮町発行) より引用 


宝円寺の枝垂れ桜

松源院

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