成徳寺の大濠と尼御所 前のページへ戻る   表紙へ戻る
    
 西原の成徳寺の周囲に深さ約4m、巾12m程のお濠りがある、現在は寺の北西部に200m程の曲形のお濠りが残るだけであるが、昔は寺の周囲を大きくとり囲んで居たとの事で、其の構造は各地のお城のお濠りと同様に屈曲して造られて居た、村人はこの濠をお濠り、又は大濠りと呼んで居る。昔はこの大濠りの内に小さな内濠りもあった。
 この大濠りの由来は、天元年間に三河守大江定基が京都より赴任の際、帯同せし妻女があったが、其の後定基に力寿姫と云う愛人が出来た為に、妻女は西原の成徳寺の現存する所に館を建てゝ居住する事になり、其の館の周囲に構築されたお濠りの一部が、現存する大濠りであると伝へられて居る。
 定基の妻女は後に尼となり、生涯をこの地で終へたので、里人はこの館を尼御所と呼んで居たと云う。
 尚定基は愛人力寿姫の死を悲しみ、無情を感じて出家し、入唐し彼の地に於て没したと伝へられるが、妻女は前記の如く京都に帰る事なく西原の地に永住したと云われ、現在成徳寺境内にあるお荒神様は、その定基の妻女の墓であるとも伝へられて屠る。

一宮町むか志ばなし(一宮町若返大学発行)より引用 


成徳寺とお荒神様

西原館の大濠

東三河の伝説・民話・昔話   前のページへ戻る        表紙へ戻る