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 足山田村地方には古くから、こんなまりつき唄が歌われていました。
      きょうもお駕籠が田んぼ道を通る
        ご領廻りのおかるさま、ご領廻りのおかるさま
 むかしこの村のご地頭様のご息女で、村の人たちに親しまれていたおかるさまという方がおりました。お城奉公にあがっているうちに、お殿さまのお目にとまり、側女として仕える身となりました。
 このおかるさま、もともと頭がよく、ご地頭家育ちの利巧者であるだけに領内の地理事情に明るく、百姓の暮らしや庶民の生活によく通じ、村々のことをお殿さまにお知らせして、ご領地をうまく治めるアドバイス役をするようになってからは、お城もいよいよ安泰。城内にも花が咲いたように家臣にも重宝がられ、領民からも慕われるようになりました。
 お囲いものになってからは、お城のだらだら坂を1キロほどの所で、城山が抱いている才原の丘の一角に松林を切り開いて開拓、おかるさまのお屋敷ができました。
 広い白壁の土塀に囲まれて、唐木門を入ったところの井戸端には、この辺には珍しい朱塗りの手桶がかかり、女中の水汲む姿も時折見られるという艶めかしい、そしてさわやかなお屋敷に、お殿さまはお忍びで通われたということです。
 そしておかるさまは、この広いお屋敷から見える大木どうもを眺め、百姓の働く姿で豊作や凶作を知り、水不足に悩む様子を聞き込むと、ため池を作って喜ばれました。百姓たちは、そうしたおかるさまの温かいお心づくしにどんなに喜んだことでしょう。
 またおかるさまも時折お屋敷から出ては、村の様子を廻られ、くらしの模様を常に身につけておられたこの姿が、いつのまにか、まりつき唄になったと言われています。
 利巧者のおかるさま、移りゆく時まで読めたのか、お屋敷の周囲10ヘクタールに及ぶ平地林の開墾に目を向け、新田畑開発を進言、才原地方の開拓を始めたのです。
それからは、村々の人たちから神様のように慕われるようになりました。これがいま足山田から上長山に広がる新切で、この地方をおかるさま畑と呼んでいましたが、今は僅かにもとのお屋敷跡のあたり、豊川用水の橋の名もおかる橋と命名され残るのみ、すぐそばの街道沿いに建つ石搭も文字さえ読み取れないほど歳月がたっています。

  ふるさとの伝説 昔のはなし (宝飯郡一宮町発行) より引用 


おかる橋

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