鐘か渕の伝説 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 昔、賀茂村の長者の娘が川を隔てた宝飯郡麻生田村(今は豊川市)の屋敷にかくまわれていた年若く美しい武士にやるせない思いを焦がしていた。若者が石巻の杜へ参詣する途などに忍んで、苦しい胸のうちを訴えたが、若者はいつもさり気なく装って、彼女に満足を与えなかった。
 冷たく扱われればそれだけ想いの募るのが人情。悶悶の日夜を過したある日の夕刻、石巻詣での帰途を待ち受けた娘が、男の袖にすがりついて、これを最後と涙まじりに口説いた。その熱心さに動かされたのか、それとも、できぬ難題にことよせて思い諦めさせようとしたのか、若者は、
「そなたに、それ程の誠があるのなら、権現山の鐘をわしの許まで持っておしゃれ、鐘と共にそなたを妻に迎えようぞ。」
 と言い残して去って行った。
 乙女心の初一念、娘はそのまま権現山へかけ登って鐘をひき降ろし、どうして運んだか、和里渕まで持って来た。魔の棲むと言い伝える深渕も、娘にとっては小川の浅瀬とも見えたであろう。娘は鐘と共に川底深く沈んだまま、再び姿を現わさなかった。
 その後、村人たちが手を尽して川底を探したが、娘の死体も鐘もあがらなかった。今もなお、鐘は沈んでいると言い、恋に死んだ娘の恨みが、かたく鐘を抱きしめて離きぬと伝えられている。以来和里渕を鐘が渕と呼ぶようになった。

ふるさと豊橋(豊橋市校区社会教育連絡協議会発行) より引用


鐘か渕

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