栄善寺の大日如来 前のページへ戻る   HOMEへ戻る
 
 むかし、弘法大師がこの村の霧山あたりへ廻ってこられたとき、麓に住む藤原なにがしという者が大師に涙ながら訴えでた。
 それというのは手のなかの玉のように可愛がっている一人息子が盲であるのを、大師のお力で何とか治していただきたいというのである。
 大師はすぐ一体の大日仏を刻んで、これにお祈りするがいいと教えた。親子の者は、ともども、その大日仏にお顧いしたら、息子の両眼がたちまち開いた。それで御礼のため西興寺という寺を建て、この如来像をおまつりした。
享禄3年(1654)まで何事もなかったが、この年山崩れがあって、寺も御像も残らず流されてしまった。ところが、その後しばらくして、この村の岡前部落辺の地中から毎夜、不思議な光が出て、しかもその光は栄善寺の方をさす。そこで村人が山崩れのあとを掘返してみると、大日如来像が出て来たので、すぐ栄善寺へ安置して、おまつりするようになったということである。

愛知県伝説集(泰文堂) より引用


栄善寺

東三河の伝説・昔話        一つ前へ戻る        HOMEへ戻る