●  錫杖井戸 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 ずっとむかしのことです。
 高野山に金剛峯寺をたてられた弘法大師というおぼうさんがいました。 このかたは、人びとの間に学問やぶっきょうをひろめたり お百しょうさんのためにため池をつくったりして、たいそうそんけいされていました。
 このおぼうさんが、豊川の里へお立ちよりになった時のことです。
 ある1けんそまつな家(いまの徳城寺)をおたずねになり、そこのしゅじんにいいました。
「わたしは、たびのものですが のどがかわいてしかたがありません。どうか水を1ぱいくださいませんか。」
「このあたりは、井戸らしい井戸もなく、水にはずいぶんくろうしています。 少し時間がかかりますが、それでもよろしかったら……。」
「けっこうです。 どうかよろしくおねがいします。」
「では、しばらくの間おまちください。」
 しゅじんはおおいそぎで遠くの川まで行き きれいなつめたい水をくんできておぼうさんにさしあげました。
 おぼうさんはたいへんおいしそうにその水をおのみになると、
「こんな心のこもった、おいしい水をのんだのははじめてです。 ほんとうにありがとうございました。」
と、ていねいに頭をさげられました。そして、
「それにしても、豊川の里のかたがたは、ずいぶん水にご不自由をしておみえのようですな。 水をいただいたおれいに、わたしがくんでもくんでもつきない井戸をさがし出してあげましょう。」
と、いったかと思うと、錫杖(つえのこと)をおとり上げになり 地面をつつきはじめました。
 2、3度つついたあとで1か所をさししめし、
「ここのところをほってみなされ。」
といわれました。
 しゅじんは、きっそくいわれたところをほってみました。
 ああ、なんとふしぎなことでしょう。 わずかlメートルほどほっただけなのに、きれいな水がこんこんとわきでてくるではありませんか。
 この井戸水はたいへんおいしく、豊川の里の人たちはよろひんでくみました。 いくらくんでもこんこんとわきでてきました。
 そして、どんなに長い日でりが続いても、この井戸だけは水が一度もなくなりませんでした。
 また この井戸水をのむと、どんな病気でもすぐなおるので、おおぜいの人のいのちがすくわれたということです。
 こうして、いつのまにか豊川の里の人びとは、だれいうとなく、この井戸を「錫杖井戸」とよぶようになりました。
 いまでもこの井戸は、徳城寺のけいだいにまつられ、町内の人びとのしんこうをあつめています。
とよかわのむかしばなし(豊川市小中学校社会科研究グループ発行)より引用


徳城寺錫杖井戸

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