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1959年4月 宝飯郡御油町と合併。  2006年2月1日、宝飯郡一宮町と合併。 2008年1月15日、宝飯郡音羽町、御津町と合併。

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● 東海道中膝栗毛と御油の松並木
十返舎一九の、ご存じ「東海道中膝栗毛」。
主人公はひょうきんな喜多八と弥次郎兵衛。江戸を立ち伊勢参りを目指した2人は、途中も失敗を重ね吉田宿を無事通過。『はや日傾き暮れに近ければ、いざや急がんとて喜多八「夕べの泊まりは中くらいな宿だった。
今夜は赤坂までわしが先に行っていい宿をとりやしょう」と先に行く。弥次郎兵衛あとに行くに、ほどなく御油の宿に至るころ、はや夜になり。宿場の女に留められ「この先の松並木には悪いキツネが化かすからここに泊まれ」とおどされる。』 喜多八を追って街道を行くと前方の松の根元に喜多八がいました。暗さに怖くなって弥次さんを待っていたのだが、弥次さんはキツネが喜多八に化けていると思い、喜多八を取り押さえ手拭いでしばり赤坂の宿までつれていきました。・・・と、さ。
豊川稲荷
京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷とともに、日本3大稲荷の一つ。
嘉吉元年(1441)東海義易禅師が妙厳寺を開創した時に、本尊の千手観世音菩薩とともに、山門に鎮守として「だきに真天」を祀ったのが始まりと伝えられている。
今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、大岡越前守忠相、渡辺華山などの武人、文人達の信仰を集めてきた。さらに、江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広がった。
3万坪を越える広大な境内には、建立に20数年の年月を費やして昭和5年に完成した、間口18m、奥行38m、高さ30mの総欅造りの本殿や豊川稲荷に古くから保存されている数々の宝物を一堂に展示している豊川閣寺賓館はじめ、大小100余棟の伽藍建物が配置され、石畳の参道には、参拝者の願いを込めた「千本幟」が林立している。
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御油の松並木
東海道中膝栗毛の中で、弥次さん、喜多さんがキツネに化かされたという松並木。
東海道53次の宿場町として栄えた御油から赤坂までの延々600メートルにわたって松の大木が立ち並び、江戸時代の趣を今日に残している。松は、慶長9年(1604)、徳川幕府の道路政策として、家康の命を受けた大久保長安が植樹したもので、幕府によって厳しく管理されてきた。
江戸時代の松並木の面影を残す全国唯一のもので、昭和19年には、国の天然記念物に指定されている。
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赤塚山公園
全国的にも珍しい淡水魚水族館「ぎょぎょランド」は、東三河を流れる「とよがわ」にすむ魚を中心に展示され、小動物とのふれあい空間「アニアニまある」では、ポニーやロバ、リスやモルモットなどのかわいい動物たちが飼育され、これらをを核とする赤塚山公園は、豊かな自然の中で魚や動物とふれあいながら、家族で楽しむことができる。

一山超えた裏の公園には、広い芝生広場や長い滑り台、昆虫の森などがあり、子供たちがのびのびと遊べる。

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弘法山公園
山頂からは、市内はもとより遠くアルプス、波静かな三河湾を望むことができ、園内にはナイター設備のある野球場、テニス場や散策道が整備されている。
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東三河ふるさと公園
東海道の宿場町など、郷土の歴史や文化を感じながら身近な草木にふれあってふるさとを感じてみませんか。
展望ツツジ園、ピクニック園地、三河山野草園、梅の広場、桜の広場、
東三河あそび宿、三河郷土の谷、修景庭園などがあります。
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牛久保のナギ
熊野神社の境内に幹周り3.5m、高さ20mにも及ぶナギの巨木がそびえている。
この地方で、これほど大きく繁茂することは珍しく、昭和13年に国の天然記念物に指定されている。
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玉林寺のクス
玉林寺の山門を入ると目通り周囲8.63m、接地根周り19.3mに及ぶ大クスが枝を広げている。
樹冠の広がりは18mもある。樹齢600年以上と推定されている。
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ゆうあいの里
養老老人ホームなどが整備された総合的・複合的な福祉エリア。中核施設「ふれあいセンター」には、浴室(ぬくぬく湯)や生きがい農園などがあり、子どもからお年寄りまでの交流の場となっている。
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三明寺
弁天様の名で親しまれる古刹。大宝年間(701〜704)に建立され、鎌倉時代の初期に戦火にあって焼失したが、室町時代には再興されるなど、栄枯盛衰の道をたどってきた。
境内にある三重の塔は、享禄4年(1531)に建立されたもので、一・二層は和様、三層が唐様の珍しい構造になっており、全てに彩色を用いていないのが特徴で、明治40年に国の重要文化財に指定されている。
また、弁財天宮殿も天文23年(1554)の造立で、昭和28年に国の重要文化財に指定されている。
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財賀寺
第45代聖武天皇の勅願により神亀2年(725)僧行基により建立された道場で、その当時は七堂伽藍があり、山内外に数百の院坊を備えた寺院だった。
応仁年間(1468年頃)兵火に見舞われ、わずか二十輿院を残すのみとなった。その後、幾多の変遷をたどり文明4年(1472)牧野城主牧野古白が、現地に再建して今日に至っている。
本寺には2体の金剛力士像と仁王門、本堂内厨子の3点の国の重要文化財がある。境内には、知恵文殊堂があり、学問成就の願をかけた父兄でにぎわう。
場所はココ   財賀寺のホームページ
八幡宮
7世紀半ばに、大分県の宇佐八幡宮から勧請された社で、奈良時代に入って三河国分寺が造営されると、その鎮護の神となった人々の尊崇を受けた。
現在の本殿は、文明9年(1477)の建立で、室町期の神社建築の特徴をよく表現しており、明治40年に国の重要文化財に指定された。
祭神は三河国神明帳に「八幡三所大明神」と書かれた応仁天皇、神功皇后、三女神の神々。
場所はココ   国府地区を歩こう   豊川市神社名鑑
西明寺
境内には日本医学の恩人ベルツ博士の墓があり、かたわらに水原秋桜子が詠んだ「菊にほう国に大医の名をとどむ」の句碑が建っている。
また、寛保3年10月(芭蕉の死後50年)建立という芭蕉の句碑「かげろうの我が肩に立つ紙子かな」がある。
場所はココ   国府地区を歩こう
三河国分寺跡
天平13年(741)、聖武天皇の詔勅によって建てられた寺。
境内は約180メートル四方で、南大門、中門、金堂、講堂を一直線に並べ、鐘楼、七重塔などを左右に配したまばゆいばかりの大伽藍であったとされている。
国の保護のもとに栄えたが、平安時代末にはおおかた荒廃した。
場所はココ   国府地区を歩こう
三河国分尼寺跡
天平13年(741)の聖武天皇の詔勅によって、国分寺とあわせて建てられたものと考えられている。
金堂の礎石が良い状態で残っており、中門、複廊、南大門の礎石も発見されている。
境内は約150メートル四方で、現在、発見されている国分尼寺の中では最大のもの。
場所はココ   国府地区を歩こう
三河総社
三河総社は白鳥町にあって、多武峯要記によると第60代醍醐天皇の延書4年(904年)総社を造るとあり、三河総社もこの時代に創建されたものと思われる。
交通機関の不備な当時においては、そうとう難事がともなったので国街所在の宝飯郡を除いた他七郡の各社を一ヶ所に勧請奉祀したのが三河総社。
現在の棟札で最も古いのは永和4年(1378年)というものがあり、また、境内からは奈良時代の古瓦が発見されている。
場所はココ   国府地区を歩こう   豊川市神社名鑑
山本勘助の墓(長谷寺)
武田信玄の軍師として名高い山本勘助は45歳の時に、甲斐の武田信玄晴信と主従の約を結び、知謀をもって忠誠を尽くし、永禄4年(1561)の川中島の合戦で、あえなく最期を遂げたとされている。
長谷寺住職の念余和尚は勘助と親交があり、託された遺髪を葬り、五輪塔を建立した。
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今川義元の墓〔大聖寺)
大聖寺の境内、北西の隅に石柵に囲まれて建つ墓が、今川義元の胴塚。
義元は永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲をうけて敗死。家臣たちは、首のない遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢をその上に置いて墓じるしとした。嫡子の氏真は、父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所とした。その際、寺領の支配、諸役免除を認めた文書を与えている。
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御油の松並木資料館
昭和63年4月に開館し、1階が展示室、2階が説明室となっている。
展示室中央には、御油・赤坂の両宿場町と松並木を配した、御油宿復元模型(千分の一縮尺)を設置し、ボタンを押せば当時の本陣や問屋場などがランプで点滅する仕組みになっている。
このほか、市指定文化財の伝馬朱印状をはじめ安藤広重の代表作版画旅人留女や古文書、当時の日用品など地元に残る貴重な資料100余点が展示されている。
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平和の像
豊川運動公園内にあるこの平和の像は、豊川海軍工しょうが爆撃をうけ、瞬時にして祖国に殉じた2,477名の御霊を弔うとともに、あわせて永遠の平和を祈願して建設されたもの。
大理石と御影石の4mの台座の上にそそり立つ3mの乙女の像は、天平時代の女人像で深い哀愁の中に平和への祈りをこめた悲しくも尊い姿は、仰ぎみる人たちの襟を正し無暴な戦争へのいましめと反省を呼び起さずにはおかない。
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砥鹿神社
大己貴命(おおなむちのみこと)(大国さま)を祀る旧国幣小社で東海地方の総鎮守の神として各方面から篤い崇敬を得ている。
昔は、本宮山に祀られていたが、御神託により今から1,300年程以前の文武天皇大宝年中に現在の地に迎えられ、里宮本社と本宮山山頂奥宮の二社となり、三河国一宮として広く尊崇され、交通安全・家運隆昌・厄難消除等祈願のため、各方面から多くの参拝者が訪れる。
場所はココ   砥画鹿神社のホームページ
本宮山砥鹿神社奥宮
三河湾に面した美しい姿の本宮山(標高789m)は、千年近い大木の杉桧が林立した神山で、頂上付近の自然林は神域として昔より保護され数百種の草木が繁茂し、愛知県天然記念物として指定されている。
頂上には三河国一宮砥鹿神社の奥宮が鎮座し、霊験あらたかな大己貴命が祀られている。
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わくぐり神社
東上地区にある神社で古くから信仰されており、特に安産の守護神として知られている。
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歴史民俗資料館
1階には町内の遺跡からの出土品を展示し、県指定文化財の「鳥鈕蓋付台付壺」や「懐柔葡萄鏡」も見ることができる。
2階には農具や民具が中心で、特に養蚕関係の資料は豊富にある。また、当地域に独特の「釜屋建民家」が館内に一部復元されている。
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本宮山山頂広場
東三河の気軽に登れる山として親しまれている。県立自然公園に指定されており、山頂へは登山のほか本宮山スカイラインを利用して車で行ける。
山頂からは三河湾が一望でき、晴天時には富士山も見ることができる。
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砥鹿神社のケヤキ
砥鹿神社里宮の東側斜面にあり、県下有数のケヤキの巨木として知られる。
樹齢は500年と推定されているが、樹勢は旺盛で、社叢のなかでもひときわ参拝者の注目を集めている。
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牛の滝
一宮町随一の名勝地であり、夏期には涼を求め各地から多数の避暑客が訪れる。
「牛の滝」の名称の由来は、両岸の集落で水争いの最中、川上から巨大な黄牛が現れたので両方の村人は逃げ帰ったが、翌朝その場を見ると滝と牛の形をした岩があったということからきている。
高さ10m程の雄滝と4m程の雌滝が流れ落ち、滝壺は青々と深みを帯びて神秘的。
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宮路山
標高362mの頂上には持統天皇の聖跡があり、三河湾や東三河平野の眺望がすばらしい。
頂上へ続く北斜面一帯は「ドウダン」と呼ばれる「コアブラツツジ」の群生地で、町指定の天然記念物になっている。
春の花、秋の紅葉、自然遊歩道、森林浴等々、ハイキングコースとしても四季折々の賑わいを見せている。
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小渡井の枡井戸
聖徳太子が宮路越えの時、清水を所望された。
近くの岩間に枡のような井戸があり水が湧き出ていた。太子はその清く冷たい水に感動し小渡井枡井戸と名付けという。今でも毎日水を汲みに来る人もいる。
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浄泉寺
赤坂薬師と石像百観音の霊場として有名。安永5年(1776)に再建された本堂に阿弥陀如来が安置され、境内には広重の東海道五十三次に描かれたソテツが残る。
室町時代の絵画、桃山時代の薬師如来座像、江戸時代の鍔口が町指定文化財となっている。
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正法寺
推古天皇の時代(592〜628)に聖徳太子を祀ったのが起源とされ、絵画から彫刻、工芸品に至るまで様々な宝物があり指定文化財も多い。
中でも鎌倉時代の絹本著色釈迦如来像(県指定)と徳川家康が寄進した綱代団扇が有名。
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龍源寺
虎岳山龍源寺という名は、開山の宗鼎中易和尚が東奥地方へ行脚の際、当時2匹の龍が出没して村人を苦しめていたのを降服させたという故事からきている。
建久年間(1,190〜1,199)に建てられたと言われ、多くの文化財が残る。
開山の祖宗鼎仲易の肖像は、禅僧の護身用の柱杖とともに県の文化財に指定されている。江戸時代の黒門が長い歴史と寺格を語っている。
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善住寺
寺号を瑞亀山善住寺という。
境内の観音堂にある馬頭観音坐像は別名「はぎぞの観音」といい、豊橋市小松原町にある東観音寺の木造馬頭観音坐像と同木と伝えられている。
遊禅会、赤膳会、子ども一休会などの行事を通して地域と関わりが深い。町天然記念物のヤマモモの木が境内にある。
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長福寺
三河の国司大江定基との別れを悲しんで自害した赤坂の長者の娘力寿姫の菩提を弔うために建てられた寺。
山中には姫の墓もある。境内に推定樹齢300年の町指定天然記念物のヤマザクラがある。
慶長検地の際、除地の扱いを受けるなどその寺格は高い。
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杉森八幡社
その起源は古く西暦702年とされ、寛和2年(986)の棟札が現存する。
毎年10月に行われる大名行列は、明治時代の初めごろ祭礼の余興として始まったもの。
境内の2樹のクスノキは、推定樹齢990年を数える町内有数の風格ある古木で、夫婦楠と呼ばれ親しまれている。
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関川神社
三河国司大江定基の命をうけた赤坂の長者宮道弥太次郎長富が、クスノキのそばに市杵島媛命を祭ったのが始めと伝えられている。
境内には「夏農月御油よ季いてゝ赤坂や」の芭蕉の句碑がある。
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宮道天神社
本宮(奥の院)が宮路山の山頂近くに、拝殿が山麓にある。歌舞伎道中や山車、神輿渡御などが出る、雨乞いまつりの祭礼で有名。
宇治川の先陣争いを描いた絵馬が町の文化財に指定されている。元旦の朝、奥の院でご来光を拝む人も多い。
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浅間神社 赤坂の通称浅間山にあり、拝殿は小さな石室。
創立年代は定かではないが、赤坂宿の旅籠へ身売りされてきた幼い娘たちの信仰を集めたと伝えられる。
宮道天神社拝殿から同神社へ向かう草深い参道沿いには、15基の石像や石碑が並ぶ。
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岩略寺城跡 中世の城は、平時における山麓の館と戦時における山城とにその特徴が分かれ、戦時になると天険を利用した山丘に造られた山城へ立てこもるようになっていた。
岩略寺城跡は、中央に本曲輪(本丸)を置き、周囲にそのほかの曲輪や井戸、排水口が残っている。確かな築城年代、目的、築城者などは不明。
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大橋屋
280年ほど前に建てられた旅籠で、旧東海道・赤坂宿の佇まいを今に伝えている。
元の屋号を「伊右エ門鯉屋」といい、安藤広重が描いた「東海道五十三次・赤坂旅舎招婦図」のモデル。町指定の有形文化財でもある。中庭には、六角形の中台の左右各面に「走り獅子」の装飾を持つ、花崗岩でできた南北朝時代の石灯籠があり、たくさんの旅人が夜を過ごした、旅籠の歴史を語っている。夕刻になると、「御宿所」と墨で書かれた提灯の淡いオレンジ色の光が、現代の旅人を暖かく迎えてくれる。
長い歴史を語る黒光りした階段を上がると、襖で仕切られた部屋が3室。表通りに面したこれらの客室は、昔のまま。障子を開けると、紅の千本格子の間から、東海道赤坂宿の喧噪が時を越えて聞こえてきそう。
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霧山渓谷
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運動公園
ソフトボールのコートが2面とれる広さがあり、軟式野球、サッカーなどのスポーツが安価で楽しめる。 
周囲にあるテニスコートは4面、弓道場、ゲートボール場、キャンプ場などの施設がある。 管理棟には、コインロッカー、シャワーなども完備。
音羽祭りが行われるのもここ。
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大恩寺
大恩寺は飛鳥時代からの由緒ある名刹で、後に徳川家康の父広忠により松平家、徳川家に大恩のある寺ということで、家康の祖母の法名をとり現在の御津山浄土真院大恩寺と改められた経緯を持つ徳川家ゆかりの寺。
浄土宗朕西派の名刹で、寺には国指定の重要文化財として、朝鮮高麗朝の仏画「王宮曼陀羅図」、県指定の文化財として唐様様式の「山門」、中国明代の作の二幅対「蓮の図」「阿弥陀如来坐像」などの寺宝が多数保存されている。
本尊の阿弥陀如来像は日本三躰仏の一つ。
場所はココ   大恩寺のホームページ
法住寺
永正5年(1508)将軍足利義澄が創建。
当初はささやかな小庵にすぎなかったが、後にこの地の領主松平長三郎忠高によって諸堂が造営され、法住寺と改められた。
本尊は大日如来で、別に祀られる国の重要文化財である千手観音菩薩は、藤原末期の秀作で霊験あらたかなことから、多くの参拝者が訪れる。
毎月17日が観音命日で、例祭が行われ千手観音菩薩が拝観でき、多くの露店も参道に並び、沢山の参拝者でにぎわう。
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御津神社
御津山の北の麓にあり、御祭神は大国主命で、元暦3年編纂の文徳実録に記され、後の延喜式神明帳には三河26座のうちの1座として名を連ねた千年も昔からの神社で、今なおあつい信仰を受けている。
当社の御祭神は言い伝えによると出雲の国から船に乗られて伊勢湾を渡って当地に着かれたといわれ、この時地元の漁師が採れたイカを献上したことから、祭礼には現在でも神前にイカを供えている。

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観音寺の大クス
約900年前に住僧が植えたものと言い伝えられ、永禄12年(1569)ごろ樹中から自然発火し、幹が半焼、隣接の寺が類焼し、その時樹中から白蛇が現れたので、白蛇不動明王として石祠をつくり祀ったという由来がある。
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熊野神社の藤
熊野神社の境内にあり、樹齢・来歴は明らかではないが、藤としては珍しい古木で、毎年5月上旬から中旬が花の見ごろ。
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穴観音古墳
石宝外護列石(古墳の偉容さを表し、墳丘の保護を石畳状の石積み)といわれる石垣が3段に積み巡らされた円墳で、直径約20m、高さ約5m。
このような古墳は東海地方には無く、全国的にも珍しい。
後世ここに開運祈願の観音様がまつられたことからその名が付いた。
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御幸浜パターゴルフ場
緑が御幸浜の敷地に天然芝の18ホール、パー72,488ヤードのコース、1周約1時間程で、小人からお年寄りまで気軽に楽しめる。
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御津山園地
標高94mの小高い山で自然の憩いの場として親しまれ、園地からの眺望は美しく三河湾や東三河市街地を一望する桜の名所として知られる。
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三河臨海緑地「日本列島」
三河湾の総合的なシンボル緑地である三河臨海緑地の海辺の散歩ゾーン」として、日本列島のミニチュアを庭園風に造りあげたもので、緑地内の芝生広場、アスレチック広場などとともに家族連れに人気がある。
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 花だより

ぎょぎょランドの梅の花

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松並木資料館そばの梅の花

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諏訪の桜トンネル

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音羽川の桜

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佐奈川の桜と菜の花

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音羽川の彼岸花

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宝円寺のシダレザクラ

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金沢のヤマザクラ

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本宮山の紅葉

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音羽川の大根の花

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富士神社のツツジ

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コスモス畑

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宮路山の紅葉

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長福寺のヤマザクラ

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長福寺の大ツバキ

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穴観音の桜

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御津山の桜

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上佐脇の彼岸花

黄色や白色の花も点在している
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