[ 稲荷神社 ]
平安時代中期の創立で当初は三祭天神と呼ばれていたが、今橋(今の豊橋)城主
牧野氏
が本社を造営し伊成大明神と改めた。
花の撓
の神事が始められたのは文化年代の頃。 この祭りはその年の五穀豊穣を祈願する祭りで、本殿右にある神事殿の中央上段の御殿に4体の人形がおかれる。真中が豊年の神、その周りが日照りの神、風の神、雨の神でそれぞれの位置によってその年の気候や農作物の豊凶を表している。
御殿の前には、米蔵や牛馬、稲、野菜、蚕、舟などが飾られ、その年の作柄を予想している。
祭りの日の参詣者は神に供えた「たつくり」を貰って帰り、苗代の肥料に入れて豊作を祈る。
現在の祭りは、4月第1土・日曜日に行われる。
牧野古白
牧野氏は、一色城(豊川市牛久保)を本拠とした今川氏幕下の豪族。
豊川市牧野町牧野城、瀬木町の瀬木城、牛久保町の牛久保城を築き、永正2年(1505年)に今橋城(現
吉田城
)を築く。
その後、今川義元が桶狭間で戦死すると、徳川家康が吉田城を取り、酒井忠次を入れる。
花の撓(とう)
その年の田や畑の作物の生育状況を人形などの模型で飾り物にして、農作の上で注意する事などをしらしめる農耕伝承(津島神社だより)