[ 高膳寺 ]



本堂

筆塚

国府天神

田沼稲荷
寺の山門をくぐると左側に自然石で高さ2m、幅50cm程の筆塚があって、次の歌が刻まれている。

 『世の中を月雪花に暇して
乗り得て帰る般若会の舟
』 亮眉(りょうき)

この筆塚は、天保11年(1840年)寺子屋で教えを受けた筆子(生徒)たち120人が、亡くなった師匠亮眉の供養のために建てたも。

従是南 相良領
高膳寺には、天保の頃から明治時代まで寺小屋が置かれていた。
ここで読み書きを習った子弟が上記120名ほどで、この地域でこれほどの子弟を抱えた寺小屋は数少ない。
本堂と墓地との間の中庭にある田沼領界を示す石柱。
従是南、相良領

高さ1.4m 幅30cm程。
遠江国(静岡県)相良城主・田沼意次が国府村を領有した時の領界を示すために立てたもの。
「従是北、相良領」の石柱は、弘法山の入口にある。

田沼意次( おきつぐ ) 8代将軍吉宗に才能を見出され、九代将軍家重の小姓から出世し、十代将軍家治の側用人として取り立てられ、40才で大名になって相良藩主となり、その後5万7千石の幕府最高職の老中となる。
安永元年(1772年)老中となってから天明6年(1786年)老中を失脚するまでの15年間、三河の国、国府村、森村、為当村、御馬村など12カ村を所領。これらの村々を支配するために国府村の高膳寺付近に陣屋(田沼陣屋)を置いた。

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