| [ 大社神社 ] |
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| 田沼意次 ( おきつぐ ) |
8代将軍吉宗に才能を見出され、九代将軍家重の小姓から出世し、十代将軍家治の側用人として取り立てられ、40才で大名になって相良藩主となり、その後5万7千石の幕府最高職の老中となる。 安永元年(1772年)老中となってから天明6年(1786年)老中を失脚するまでの15年間、三河の国、国府村、森村、為当村、御馬村など12カ村を所領。これらの村々を支配するために国府村の高膳寺付近に陣屋(田沼陣屋)を置いた。 |
| 大江定基 (さだもと) |
大江定基が三河守の任にある時、赤坂宿の長者の娘 力寿と恋仲になるが、国司としての任期が終わって都へ帰る日が近づくと、力寿は定基との別れを悲しみ自害してしまう。深い悲しみの中で定基は冷たくなった力寿を7日間抱いて過ごすが力寿は腐乱し悪臭を放つようになった。これにより定基は、人生の無常を悟り自ら寂昭と名乗り僧として力寿供養に奉げる。菩提を弔うために建てられた寺、長福寺は、音羽町にあり、山中には姫の墓もある。 また、財賀町の入り口には、「力寿の桜」と名づけられた桜の古木があり、根元には「力寿碑」が建てられている。 |
| 徳川家茂 (いえもち) |
徳川14代将軍(在職1858〜66)。4歳で紀州藩主となる。13歳で将軍に就任、家茂と改名した。公武合体のため、皇妹和宮と結婚。大坂城で21歳の短い生涯を終える。 黒船来航、安政江戸地震、安政の大獄、桜田門外の変、生麦事件、薩英戦争など、大きな事件の渦中に立たされる。 |
| 明治5年(1872年) | 新橋(現汐留)と横浜(現桜木町)の間に鉄道が開通する。片道1時間で運行。 |