[ 村社 白鳥神社 ]


当社の社伝によると、「推古帝19年、百済王餘璋の太子琳聖帰化し、舟を周防の多々良浜に繋ぎ、其れ大内縣に由り大内と称する一族となる。七伝して大内正恒と言い、其の五世孫藤根当地に遷住す。これ天慶年中(938〜947)の事にして、三御子(仁徳帝時代帯日津日子命若建王稲依別王の三御子を奉仕すと言う)を奉祀せし祠に沿いて居を構え奉仕して社号を柴戸大明神と申し侍りき。亦深く尾州大高城主山口治郎兵衛定次、大内一族の縁故に由りて遷り住み尾州白鳥神社を勧請して日本武尊を祀る」とある。
以後、代々祭主となり奉斎し、御陽成帝の天正15年(1587)御宝殿一宇を建立し奉った。
なお、当社は「三河国内神明帳」に「正三位白鳥大明神」とあり、歴代の領主・代官は祭典には欠かさず礼拝した。
天正15年、慶安4年、元禄、正徳、享保、寛保の棟札に白鳥大明神とある。
明治6年1月、村社に列し、大正10年10月25日、神饒幣帛供進の指定社となった。

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