月給1円50銭の校長 前のページへ戻る   表紙へ戻る
  
 上の郷に、はじめて学校が出来た時、旧酉の郡藩士、槍術指南役の藤岡増五郎が、教員講習を受けて、速成訓導として、校長に就任したので、西部校の歴代校長履歴書のいちばんはじめに綴じこんである。月給はたしか1円50銭だったように記憶している(間違っていたらごめんなさい)安月給と思うなかれ、当時の米1升は1銭5厘を高いとして米騒動が起きた時代である。
 しかも廃藩置県で、チョンマゲを切った士が巷に氾濫した時代、子弟教育に経験のある槍術指南の藤岡翁が、選ばれて校長に就任したことは、当然と思れわる。
 今日の上の郷が、蒲郡市内に於ける特別に質実な気風を保っているのは、藤岡翁の薫陶を受けた、上の郷の、今は古老と言われる人達に淵源していると言ってもよいであろう。
 藤岡翁は、旧廓の自宅から紋付羽織に、袴をはき、ホーバの下駄に身をのせ、夏も冬もたしなみよく扇子を片手に、悠然と登校したのだそうだ。
 サツソウたる風姿が目に見えるようではないか。
生徒は、玄関前に整列して、この校長先生を迎える。翁は終始ニコニコ会釈しながら部屋にはいって鈴をならし、生徒を教室に入れて教壇に立たれた。
1日の授業が終ると、校長先生お帰りである。玄関前に、朝お迎えしたように生徒は、整列してこれをお見送りする。徳川時代の塾の遺風とでも言ったらよかろうか、とにかく今日では想像も出来ないことである。
 この碑、校庭南の桜の根方に倒れかかっていた時、たまたま金石文調査のため、ここlを訪れて、初代校長の碑なることを発見して、提案したらさっそく公民館前に移してもらえた。高橋寿太郎校長の時である。碑文は、宝飯地方史資料金石文集の中に収録されている。

かまこおり風土記(蒲郡青年会議所発行)より引用 

藤岡増五郎碑

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