酒飲み天神様 前のページへ戻る   表紙へ戻る

 東町(今の本町)の秋葉神社に天神様がおまつりしてある。むかしは、天桂院におまつりしてあったのだが、いつの頃かお酒の好きな男がいて、日が暮れるとお寺をそっと抜け出しては町の酒屋に出かけたそうな。毎日のことで、とうとう酒代に困るようになり、ついには天桂院の本堂の横のお社の中にあるかわいらしい天神様をふところにいれて持ち出してしまった。
 その男は、酒屋のおやじに「今度来る時まで貸しといてくれよなあ。」と頼みこみ、天神様を酒代のかわり預けて行った。酒屋のおやじも顔見知りのことなので、いやとも言わず天神様を預るという変なことになってしまった。それからもたびたび天神様が酒屋に通うことになったので、この天神様は酒飲み天神というようになったといわれでいる。
 天神様の酒屋通いがひんばんになると、天桂院の和尚様の耳に入るようになり、男はお寺にいたたまれず、天神様を酒屋に質入れしたままどこかへ行ってしまった。酒屋さんこそいい迷惑だが、持って行き場がないので、天神様を酒樽の上に安置しておがんでいると.樽のの中の酒が妙に減って行く。酒屋はふしぎに思い、天神様を見るとお顔が赤く、酒に酔っていらっしゃるのでおどろいた。
 これは大変、こんな生のある天神様を家に置くのはもったいない、と町役人に申し出て秋葉神社におさめて、みんなでおまつりをすることになった。それから天神様に御酒を差し上げると、顔を赤くしていい気嫌におなりになるというので、秋葉神社でも酒飲み天神と言われるようになった。
 しかし、明治時代になったある夜、この天神様を竹谷の奥林の連中が秋葉神杜から盗み出して自分の村でまつったので、東町の人たちに知れわたり大騒ぎ。さっそく代表を立てて奥林にかけ合ったが、いっこうにラチがあかない。業をにやした東町では、人数を繰り出して天神様を返させようとした。これを聞いた奥林では、そうはさせじと対抗するために人数をかり集め、炊出しまでする始末だった。双方物々しく殺気立って、血の雨が降らねは納まらぬ状勢となった。
 そこで、捨て置けないとあって、竹谷の駐在さんが中に入り、天神様はもとにあった東町へ返すこと、罪人は出さぬことの2つの条件を出したので、双方相はかって話がまとまり、一件落着したそうな。
 一説によると、東町の彫刻好きな人がいて、にせの天神様をつくり、すりかえて奥林が承知したともいわれている。が、今だに東町と奥林ともに「うちの方が本物の天神様だ。」と言っているが、実は天神様の像が民間に渡る時、刀のツバが天桂院に残っていたので、このツパがきちんと収まる方が本物だということになる。
さて、いったいどうしたものか。

西の郡の民話 ほんとのんほい より引用 


秋葉神社

天桂院

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