浄瑠璃姫の祠 前のページへ戻る   表紙へ戻る

 今から約800年ほど前、源氏と平家が争いを続けていたころのこと、岡崎の近くの矢作の里に兼高という長者があった。お金に不自由のない恵まれた長者であったが、寂しいことに子供が1人も無かった。長者夫妻は思案のあげく、日ごろ深く信仰していた鳳来寺薬師如来に祈願することにした。鳳来寺へやってきた長者夫婦は、「どうかよい子を授け給え。」と21日のおこもりをし、祈願し続けた。いよいよ満願になる夜のこと、白髪の老人が婦人のまくら元に立って、「望み通りに子宝を授けよう。もし女の子が生れたら浄瑠璃姫と名付けよ。」とお告げをした。
 それから間もなく婦人は身重になり、やがて玉のような美しい女子を出産した。長者夫妻は大層喜んで、夢のお告げ通りその名を浄瑠璃姫と名付け、かわいがって育てた。すくすくと育った姫は近郷近在でも評判になるほど美しくなり、15の春を迎えた。
 平家に追われ四散した源氏一族の武将義経は、源氏の再興を夢みて奥州の雌藤原秀衡をたよって行く途中、源氏に緑故のある矢作の兼高長者の家へ泊まった。その夜のこと、庭の向うでかなでる浄瑠璃姫の琴の音に合わせて得意の笛を吹き、やがて年若い2人は、琴と笛にとりもたれて一夜を楽しく過ごした。しかし、義経は奥州へ急がねばならないので、再会の日を約束して、翌朝奥州目指して旅立って行った。
 しかし姫は、心に刻みついた義経の姿が忘れられず、会う日を待って半年が過ぎたが、恋しく思う義経からは何の便りもなかった。待ちかねはてた姫は、「半年たっても私がもどらなかったら鳳来寺の千寿が峯で待ってください」と言った義経の言葉を信じ、乳母の冷泉をお供にして千寿が峯へやってきた。姫はふもとの笹谷に庵を作ってわびしい生活をしながら義経を待った。そして幾日かが過ぎていった。
 こうして待ちこがれていたある日のこと、義経がここを通るといううわさを耳にしたのである。急いで往来へ出て道行く人に尋ねたところ、義経はもう3日ほど前に通って行ってしまりたということであった。これを聞いた姫は、一筋に持ちこがれてきたはかない恋を嘆き悲しみ、庵のほとりで自害して若い一生を閉じてしまった。
 やがて自害した跡へ、姫を哀れむ村人たちによって墓が立てられた。あるとき横山部落の人が夢枕で、「3日のうちに姫の墓にお参りすれば、どんな厄病にもかからない。」というお告げを受けた。このうわさが広まると、うわさを聞いてから3日のうちにお参りしようとする人々で一時は道の両側に出店が並らび墓前のむしろにはおさい銭が山と積まれた程であった。今、この墓は人里遠く離れた山中に寂しく残っている。

鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行) より引用


三州横山話

東三河の伝説・民話・昔話   前のページへ戻る        表紙へ戻る