光仏橋  新城市富沢66
 富沢の中ほどの沢には、昔、らんかんのついた木の橋がかかっていました。 この橋は、いくら直してもらんかんが削られるのです。それは、橋のかけらを持っていると病気がなおり、子どもが夜泣きしないというので、遠くからも削りに来るためでした。
 昔、増瑞寺(富永)のお地蔵さまを刻まれた行基という偉いお坊さんが、ここを通りかかりましたが橋がありません。雨が降るとみんながなんぎするというので、自分の手でリっぱな橋をかけ、お経を唱えたことから、光仏橋という名が付けられました。それ以来人々はたいへん有難く思い、お念仏を唱えてからこの橋を渡るようになったということです。  新城 文化財案内(新城市教育委員会発行)より引用
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【 2016年12月29日撮影 】

(1)  左の交通標識のあるガードレールの所が光仏橋

(2) 橋があるとは気が付かない・・・・

(3)

(4) 光仏川

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