利修仙人 前のページへ戻る   表紙へ戻る

 鳳来寺を開いたといわれる利修仙人は、欣明天皇31年(望ロ)山城国に生れた。
 斉明天皇のとき百済国へ渡ってあらゆる修業をしつくしたのち、白鳳元年(の望)帰朝、そして鳳来寺山に入ったというから、齢はこのとき90歳だったわけである。
 この山には、高さ150m、まわり58mもある桐の大木があったところから桐生山といい、また、この桐の幹に竜がすんでいてたえず霧をはきだしていたので霧降山の名まえもあった。
 さらには、この木に体長2.4m、尾の長さ3m、全身5色にかがやく烏もすみついていた。鳳風であった。
 仙人は、山にある7本杉の1本から、薬師如来、日光、月光両菩薩像をはっておまっりし、ここに腰をすえられることになった。
 時の文武天皇が重い病にかかられ、あらゆる手段をつくしても、いっこうに快方へむかわれないとき、朝廷では利修仙人のことが話題にのぼった。
 いつも鳳凰の背にのって空中を飛び、赤、青、黒と3匹の鬼をしたがえているという、この高僧がめしだされることになった。
 そこで勅使草鹿砥公宜卿が、はるばる都から下向、利修仙人にお願いすると、仙人はすぐ鳳凰に乗って都へ飛び、法力でたちまち天皇の病気をおなおししてしまった。
 天皇大いにおよろこびになり、大宝3年(苫餌)この山に壮大な七堂伽藍を建て、畑厳山鳳来寺と命名され、山の名も鳳来寺山とよばれるようになった。
 のち聖武天皇が病気でお悩みのときにも、光明皇后が、この寺の薬師如来に祈願なさって、ご全快されたので、皇后みずから筆をとり、鳳来寺とお書きになって、寺へいただいた。
 仙人は308歳の文慶2年(∞謡)、亡くなられた。
 またあとに残った3匹の鬼は、仙人が本堂の地中に封じこめておかれたという。
 この地方で行われる田楽まっりは、この鬼の霊をなぐさめることから始まったといわれている。

愛知県伝説集(泰文堂) より引用


利修仙人護摩所

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