陣場と家康の茶がま 前のページへ戻る   HOMEへ戻る
            
 塩沢の部落の東のはずれに樋田橋がありますが、この付近を陣場と呼んでいます。
 これは、天正元年に、徳川家康が長篠城を攻略するために、三千の兵を率いて、この樋田橋付近に布陣したことや、天正三年の長篠合戦の時、設楽備中守定通が五百の兵を率いてここに陣をしいたことなどから、陣場と呼ばれるようになったと言いつたえられています。
 ここは豊川沿いのちょっとした平地ですが、東の山へ百メートルものぼると、長篠城が一目に見え、中山と連絡をとるにも都合のよい所です。
 また、家康が、この陣中で使ったという四つ足のめずらしい茶がまが、塩沢の善勝寺に大切にしまってあります。
 また家康が、その時に使ったという湯のみが、塩沢の小久保克己さんの家に家宝として保存されています。
 また、ここでの合戦をおそれた塩沢の人が避難した場所(こやんば)が、日吉から吉川へいく途中の、大沢地内の山のくぼに残っています。

新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


樋田橋

設楽越中守陣地

善勝寺

小屋久保

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