豊玉稲荷の由来 前のページへ戻る   表紙へ戻る

 昔、杉山に豊玉五社という稲荷様がお祀りされていました。この稲荷様の西の方に玉川という川がありました。源は雁峰山で、白滝を下り、杉山をへて、野田を流れて豊川に入る川です。
 この川の中ほどに、すばらしい滝がありました。滝つばは深く、流れ落ちる水音は、あたりの野山に響いていました。不思議なことは、水音が鼓を打つように聞こえたことです。
 今から、千年くらい前、都の貴族、藤原季範という人が娘を連れて、旅の途中、この稲荷様をおまいりしました。その娘は13歳でしたが、たいへん美しく、かしこい人で、のちに源頼朝の母となられた方です。その時、川の水音をお気に入りになって、次のような歌を詠まれました。
    百々日記(どどめき)のいなりの山のほど近く
      つつみが滝の水のうつ音
 こんなこともあって、土地の人々は百々日記鼓が滝と呼び伝えたそうです。
 いま、この歌碑は残っていませんが、玉川は下流を野田川といって静かに流れています。淵のあった場所もはっきりしませんが、今出平(こんでびら)橋の下流であろうと思われます。稲荷様は、永い間、遠目記城跡の本丸跡にお祀りされていましたが、千郷中学校の運動場の拡張工事によって、土塁がとりこわされたので、現在は運動場の南西端に移されました。

新城昔ばなし365話(新城市教育委員会)より引用 


遠目記城跡と豊玉稲荷

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